2007年06月17日

第10回上海国際映画祭で「日本映画週間」が組み込まれ、山田洋次監督の「武士の一分」など13作品が参加

16日、第10回上海国際映画祭がオープン。今回は日中国交正常化35周年を記念して「日本映画週間」が組み込まれ、山田洋次監督の「武士の一分」など13作品が参加し、今回参加した日本映画の一部が一般上映されるのは確実らしい。

17日から日本映画週間がスタート、林徹監督の「大奥」がオープニング上映され、そのあと市内11カ所の映画館で参加作品が24日までほぼ連日、上映される予定。

 中国では、95年の岩井俊二監督の「Love Letter(中国名・情書)」以来、日本映画の一般上映はなかった。しかし、日中国交正常化35周年にあたる今年は、映画「ドラえもん」の中国初上映(7月)が決まっている。

 15日夜には山田監督や女優の桃井かおりさんら参加作品関係者を招いて「歓迎の夕べ」が催された。
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2007年06月12日

日本映画はサイレント時代から始まり、長い歴史があります【1910〜1949年代】

1910年の映画

10月、伊藤博文暗殺の瞬間が実写フィルムで撮影される。
11月。Mパテー商会(日活の前身のひとつ)が白瀬矗中尉の南極探検隊に撮影隊を派遣して、実録映画の撮影に成功する。

* 1912年の映画

9月、日本活動写真株式会社(略称日活)、横田商会・吉沢商店・Mパテー商会・福宝堂の既成4社の合併による日本で最初の大手映画会社として発足。

* 1913年の映画

10月。日本活動写真が「向島撮影所」(日本初の近代映画スタジオ)を建設し、新派の現代劇映画の製作を開始する。

* 1914年の映画

4月、映画会社、天然色活動写真(天活)が『義経一本桜』(日本初の着色映画)を封切り公開する。
東京シネマが定期ニュース映画を製作開始。

* 1917年の映画

日活と天活が漫画映画を製作開始。
警視庁が客席を男女別に規制する「活動写真取締規則」を公布。

* 1919年の映画

7月、「キネマ旬報」創刊。

* 1910年代後半には、欧米流の洗練された映画に変革しようする、日本映画の近代化運動「純粋映画劇運動」が起こる。その結果、日本初の女優花柳はるみを使った帰山教正監督の『生の輝き』(1918年)、田中栄三監督の『生ける屍』、小山内薫が指導し村田実が監督した『路上の霊魂』(1921年)などの作品が生まれた。

* 1920年の映画

松竹キネマ合名会社設立。
松竹キネマ合名社ができたときに、松竹が呼んだハリウッドの現役キャメラマン、ヘンリー小谷が果たした影響は大きい。彼がレフ板を華麗に用いて撮影したというエピソードは、日本が映画を単に映すという段階から、一歩進んで商品として、新しい芸術、メディアとしての映画のあり方を象徴するものだった。

* 1921年の映画

2月、芝居興行の「松竹」のキネマ部が本格的に映画事業に参入。「松竹キネマ」と改称して新発足
6月、「松竹蒲田撮影所」が誕生し、栗島すみ子が入社する。
帝国キネマ演芸(通称帝キネ)創立。同年、最初のアニメーション映画プロダクションである北山映画製作所成立。

* 1923年の映画

4月、日活の映画監督・牧野省三が同社を退社し、マキノ映画製作所を創立。
阪東妻三郎がマキノ映画からデビュー、のちに嵐寛寿郎のように、歌舞伎界から移籍し、映画俳優となるケースが続く。
12月、八千代生命が東亜キネマ株式会社が創立する。
*日本の映画史が二分されるというべき大事、つまり関東大震災が起きた年に米国ではパンクロマティック・フィルムが発売された。この映画技術上のフィルムの進歩が白黒映画に大きな表現力を与えた。それまでのオーソクロマティック・フィルムは赤と黒の区別がつかず、唇が真っ黒に写ってしまうが、パンクロマティック・フィルムの導入と照明におけるカーボン・ライトからタングステン・ライトへの転換は、陰影を基調とした日本映画を大きく発展させることになる。

* 1924年の映画

活動写真の全国統一的な検閲作業が内務省の所管ととなる。
12月、キネマ旬報社、年間ベスト・テン映画選奨始める。

* 1925年の映画

7月、内務省、活動写真検閲全国統一を行う。
9月、阪東妻三郎、独立プロダクションを設立。名作『雄呂血』を製作する。

* 1926年の映画

阪東プロダクションが京都の太秦村に「太秦撮影所」(現東映太秦撮影所)を開設する。

* 1927年の映画

12月、京都の郊外・太秦村に「日活太秦撮影所」(後の大映太秦撮影所)が開設される。

* 1928年の映画

4月、嵐寛寿郎、片岡千恵蔵が独立プロダクションを設立。嵐寛プロには山中貞雄、千恵プロには稲垣浩、伊丹万作などの優れた映像作家を輩出した。

* 1929年の映画

2月、日本プロレタリア映画同盟(プロキノ)創立。

* 当時は、セリフだけではなく内容を語りで表現して解説する活動弁士(弁士)付きで上映された。
* 1923年の関東大震災、第二次世界大戦の戦災で、燃えやすかったフィルムは消失、散逸し、この時期の作品は残存していないケースも多い。
* 溝口健二(『東京行進曲』(1929年)ほか)、小津安二郎(『大学は出たけれど』(1929年)ほか)などの監督も、若き日にサイレント作品を手がけ、のちの世界的評価を受ける作品の礎を築いている。
* 1920年代では、ヘンリー小谷監督「島の女』(1920年)、野村芳亭監督『夕刊売り』(1921年)。二川文太郎監督『雄呂智』(1924年)、衣笠貞之助監督『狂った一頁』(1926年)、伊藤大輔監督『忠次旅日記』(1927年)などが話題を呼んだ。

1930年代

* 1930年の映画

2月、鈴木重吉監督『何が彼女をさうさせたか』がヒット。内田吐夢監督『生ける人形』、溝口健二監督『都会交響曲』、伊藤大輔監督『新人斬馬剣』などの傾向映画(左翼思想を背景に社会矛盾、階級対立をテーマとした映画)が全盛となる。

* 1931年の映画

帝キネが解散して新興キネマとして再生する。

* 1932年の映画

五所平之助監督の『マダムと女房』(日本初のトーキー映画)が公開。トーキーの流行で、弁士、楽士らの反トーキー・ストライキ起きる。またトーキーの登場は、採算面から独立プロを直撃し、映画製作は映画会社が専門的に行う傾向が高まる。
入江たか子、女優で初の独立プロダクションを設立、溝口健二が参加。
小林一三が映画興業に進出して「写真化学研究所(PCL)」(現・東宝の前身のひとつ)を設立する。
11月、「宝塚キネマ」が設立される。コダックの日本代理店だった「長瀬商会」(現・長瀬産業)が京都の映画フイルム現像工場を分離独立させて「極東フィルム研究所」(後の極東現像所、現イマジカの前身)を設立する。

* 1933年の映画

上原謙が立教大学の学生から松竹入社。新たな映画スターのタイプを作る。
3月、「映画国策建議案」衆議院で可決。映画法などの先駆け。官僚統制が始まる。
6月、銀座に「大都映画」(後の大映の前身のひとつ)が設立される。

* 1934年の映画

1月、富士写真フイルム創立、国産フィルム量産を発表。同月、日活が現代劇部門を「多摩川撮影所」に移転。
2月、正月に有楽町に「東京宝塚劇場」をオープンさせた小林一三が本格的に東京進出を図り、映画館「日比谷映画劇場」を開場。
3月、内務省が映画統制委員会を設置。
日活京都撮影所の企画部長の永田雅一が退職して「第一映画撮影所」を設立。川口松太郎、伊藤大輔、溝口健二や山田五十鈴らが参加した。

* 1935年の映画

11月、映画の国家統制機関「大日本映画協会」が設立される。
12月、有楽町の日本劇場の地下に戦況ニュース映画・短編映画を上映する専門館「第一地下劇場」(日本初のニュース映画館)がオープン。

* 1935年あたりから榎本健一がドタバタ喜劇で人気急上昇。

* 1936年の映画

松竹キネマが松竹蒲田撮影所を神奈川県鎌倉の大船に移転し「松竹大船撮影所」が開設される。以降、大船調と呼ばれる独自のカラーを作った。
映画監督の自主独立・相互扶助などを目的に「監督協会」(現日本映画監督協会)が誕生する。
10月、京都にニュース映画専門館「松竹京都ニュース劇場」(関西初のニュース映画館)が開館する。

* 1937年の映画

2月、小林一三が東京錦糸町に「江東楽天地」(現東京楽天地)を設立する。
4月、松竹キネマが演劇興行の「松竹興行」と合併し、映画・演劇を一元化を図り「松竹」と改称して新発足する。
5月、大阪に「大鉄映画劇場」(現きんえい)が設立される。
8月、満州国の国策映画制作会社「満州映画協会」(満映)が設立される。
9月、東宝映画会社発足(写真科学研究所、PCL、東宝映画配給、JOスタジオが合併)。
11月、林長二郎が暴漢に襲われ、重傷を負う(林長二郎事件)。長二郎が松竹から東宝に移籍したことから、新興キネマ京都撮影所長の永田雅一らに教唆され、犯行におよんだもの。林長二郎はこの名を松竹に返し、本名の長谷川一夫を名乗るようになった。
輸入配給会社「東和商事」(現東宝東和の前身)の川喜多長政が「新しき土」(日本初の日独合作映画)をアーノルド・フランク、伊丹万作監督、円谷英二の特撮で制作する。
独立プロ「片岡千恵蔵プロダクション」が解散し、社員全員が日活京都に入社。嵯峨野の撮影所は「日活京都第二撮影所」となる
独立プロ「嵐寛寿郎プロダクション(第二次)」が解散し、嵐寛を除く社員全員が新興キネマに入社する。
*この年を頂点として日本の白黒映画の黄金期が訪れ、次々と名キャメラマンも生まれた。サイレント映画時代から『狂った一頁』などで知られていた杉山公平、『浪人街』『浪花悲歌』『祇園の姉妹』の三木稔、『人情紙風船』ではハリウッドでグレッグ・トーランドの助手をしていや三村明、また『土』の碧川道夫、『五人の斥候兵』の伊佐山左三郎、『川中島合戦』の三浦光雄など多くのキャメラマンが個性を発揮し、それは戦後の黄金期まで続いた。

* 1938年の映画

3月、東和商事(現東宝東和)の製作の日本と満州映画協会の協同作品『東洋平和の道』が帝国劇場にて上映される。
4月、「支那事変特別税法」が施行され、映画館に映画入場税が課税(映画入場税の始まり。平成の消費税の導入で廃止)。
12月、松竹の女優、岡田嘉子が演出家の杉本良吉と共に樺太国境を越え、ソビエトに亡命する。
東横映画設立。
大阪毎日新聞がニュース映画、文化映画を製作する映画部(現・毎日映画社)を設置する
神戸の富豪、池長孟(のち淀川長治の姉と結婚)が、アメリカから輸入したカラー映写フィルムで東京・大阪・神戸の市街を映写撮影する。

* 1939年の映画

4月5日。「映画法」(映画の事前検閲など国が直接に映画内容に関与した法律。1945年11月廃止)が公布。自由な映画製作が不可能となる。

* 佐藤武監督『チョコレートと兵隊』(1938年)がのちの太平洋戦争中、アメリカ国務省が編成した対日宣伝研究プロジェクト・チームによって、日本人の国民性研究の最も適当なテキストと考えられ、英語字幕を入れて研究試写に使われた。
* 30年代では伊丹万作監督『国士無双』(1932年)、『赤西蠣太』(1936年)、小津安二郎監督『生まれてはみたけれど』(1932年)、山中貞雄監督『抱き寝の長脇差』(1932年)、『丹下左善余話百万両の壷』(1935年)『人情紙風船』(1937年)、内田吐夢監督『人生劇場』(1936年)。成瀬巳喜男監督『妻よ薔薇のやうに』(1935年)、溝口健二監督『浪華悲歌』、『祇園の姉妹』(1936年)、野村浩将監督『愛染かつら』(1938年)、山本嘉次郎監督『綴形教室』(1938年)などの作品が発表された。

1940年代

* 1940年の映画

1月、主要六大都市で「文化映画」の上映が強制上映となる。
12月、「映画之友」「キネマ旬報」などの映画雑誌が全て廃刊。(映画雑誌の定期刊行物統制の始まり)。

* 1941年の映画

1月1日から全国の映画館でニュース映画・文化映画の強制上映が開始される。

* 1942年の映画

1月、新興キネマ、大都映画、日活の製作部門、が合併して大日本映画製作株式会社(戦後の大映)発足。この戦時統合により、映画会社が松竹・東宝・大日本映画製作の3社に集約される。
山本嘉次郎監督+円谷英二特撮監督『ハワイ・マレー沖海戦』(日本初の特撮映画)が公開。

* 1943年の映画

3月、アニメ作家瀬尾光世の『桃太郎の海鷲』(日本初の長編アニメ映画)が海軍省の後援で公開上映。
9月、大政翼賛会の要請により映画上映前に軍歌「愛国行進曲」「海ゆかば」が流されるようになる。
東宝の黒澤明が『姿三四郎』、木下恵介が『花咲く港』で監督デビューし、共に「国民映画奨励賞」を受賞する。

* 1944年の映画

4月、瀬尾光世による長編アニメ『桃太郎 海の神兵』が公開上映。
12月、映画フィルムが欠乏し、全国731の映画館に対し供給が停止。

* 1945年

8月15日、終戦。
GHQによる映画管理が始まり、空襲で焼け残った戦前の映画作品の大部分が処分され、時代劇も禁止された。民主啓蒙映画や反封建的な時代劇は許可された。
11月、各映画会社、従業員組合結成
12月、映画法廃止

* 1946年

1月、GHQの映画検閲が開始

* 1947年

1月、新東宝映画製作所設立
7月、東横映画株式会社設立

* 1948年

3月、黒澤明ら「映画芸術協会」設立
8月、東宝争議起こる。撮影所を占拠した組合員に対し武装警官や占領軍の戦車や飛行機まで出動するまでに至る
組合主流の共産主義者たちの態度に反撥した映画スタッフを中心に新東宝が設立される。
日本映画監督協会が復活。

* 1949年

6月、GHQの要請で映画倫理規定管理委員会(映倫)発足


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日本 映画はサイレント時代から始まり、長い歴史があります【1890〜1910年代】

日本 映画の歴史

サイレント時代

* 1899年の映画

日本 映画の歴史は、1899年(明治32年)に始まる。この年の6月20日、短編ドキュメンタリー映画『芸者の手踊公開(東京歌舞伎座)。これは小西本店(後の小西六写真工業、現コニカミノルタ)の浅野四郎がゴーモン社製の撮影機にて芝・紅葉館で実写撮影し、駒田好洋が率いる「日本率先活動写真会」によって一般公開された。
同年、柴田常吉と駒田好洋が共同撮影した『ピストル強盗清水定吉』(日本初の劇映画)が上映され、主演の横山運平が日本初の映画俳優となる。
11月には、柴田常吉の撮影にて「紅葉狩」が撮影され、主演の市川團十郎 (9代目)、尾上菊五郎 (5代目)の出世作となった。※活動写真項も参照のこと
*初めてカーボンを利用した人工光線による撮影を試みた藤原幸三郎や夜間撮影を始めたキャメラマンがいる。彼らは現像などにも関わらざるを得ず、その時の枝正義郎、玉井昇、大洞元悟の果たした役割もある。

* 1900年の映画

3月、吉沢商店が国産映写機を発売する。
10月。浅草六区に「浅草電気館」(日本初の映画常設館)が開設され、着色無声映画が上映される。

* 1904年の映画

吉沢商店、横田商会らが日露戦争実写撮影班を現地に派遣。ドキュメンタリー映画が大ヒットする。

* 1907年の映画

大阪・難波千日前に横田商会活動写真販売部直営の常設映画館「電気館」(第一電気館、大阪初の常設映画館)が開業する。

* 1908年の映画

1月、吉沢商店が、東京・目黒行人坂上に映画撮影所「目黒撮影所」(日本初の映画撮影所)を開設する
京都の芝居小屋の狂言方であった牧野省三が横田商会公開用に監督した『本能寺合戦』(日本最初の劇映画)公開。牧野は翌年に、歌舞伎俳優の尾上松之助主演の『碁盤忠信』をヒットさせ、以降、尾上は「目玉の松ちゃん」の愛称で『豪傑児雷也』(1921年)などの作品で日本映画最初のスターとなる。
12月。有楽町・数寄屋橋きわに全館椅子席の映画館「有楽座」(日本初の全館椅子席の映画館、関東大震災で焼失)が開業。

* 1909年の映画

6月、「活動写真界」(最初の映画雑誌)創刊。

次に続きます。

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2007年05月28日

カンヌ映画祭閉幕、河瀬直美監督(37)の「殯(もがり)の森」が最高賞「パルムドール」に次ぐ2席のグランプリを受賞

 第60回カンヌ国際映画祭が27日夜(日本時間28日未明)に閉幕を迎え、コンペティション部門に日本から唯一参加した、河瀬直美監督(37)の「殯(もがり)の森」が最高賞「パルムドール」に次ぐ2席のグランプリを受賞した。

 邦画の同賞受賞は平成2年の小栗康平監督「死の棘」以来。最近の主要賞では、平成9年に今村昌平監督の「うなぎ」が最高賞、平成16年に柳楽優弥さんが「誰も知らない」で主演男優賞を受賞している。

 河瀬監督は授賞式で「映画を作り続けていてよかった」と喜びを語った。

 最高賞はルーマニア人のクリスティアン・ムンジウ監督の「4カ月、3週間と2日」だった。



 「殯の森」はグループホームで暮らす認知症の男性とわが子を亡くした介護士の女性が、男性の妻の墓を探して森の中をさまよう姿を通し、人間の生と死の接点を描いた作品。

 奈良市の文筆業、うだしげきさんと女優の尾野真千子さん、渡辺真起子さんらが出演し、主に同市の山間部で撮影した。

 河瀬監督は奈良市生まれ。平成9年、初の劇場用映画「萌の朱雀」でカンヌ国際映画祭の新人賞「カメラドール」を史上最年少で受賞し、話題を呼んだ。主要賞の対象となるコンペティション部門への出品は平成15年の「沙羅双樹」以来、2度目だった。

 ほかの主要賞は以下の通り。

 ▽ 監督賞=ジュリアン・シュナーベル「潜水艦と蝶」▽60回記念賞=「パラノイド・パーク」(ガス・ヴァン・サント監督)▽男優賞=コンスタンチン・ラブロネンコ「バニッシュメント」▽女優賞=チャン・ドヨン「シークレット・サンシャイン」▽脚本賞=ファティ・アキン「エッジ・オブ・ヘブン」▽審査員賞=「ペルセポリス」(マルジャン・サトラピ、バンサン・パロノー監督)、「サイレント・ライト」(カルロス・レイガダス監督)(共同)
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2007年05月17日

還暦(60年)カンヌ映画祭が開幕 記念の年彩るキタノ、河瀬直美監督の「殯(もがり)の森」、松本人志さんの監督デビュー作「大日本人」

2007年5月17日(木)朝日新聞

 第60回カンヌ国際映画祭が16日夜(日本時間17日未明)、南フランスのカンヌ市で始まった。

 開幕作品は香港の王家衛監督の「マイ・ブルーベリー・ナイツ」。最高賞のパルムドールを競うコンペティション部門には同作を含む22本が出品、日本からは河瀬直美監督の「殯(もがり)の森」が選ばれた。審査委員長は「クィーン」を監督した英国のスティーブン・フリアーズ。受賞結果は最終日の27日夜(同28日未明)に発表される。



 節目の年を記念して世界の監督35人が競作する短編集には、北野武監督が参加。浜辺に特設した巨大スクリーンで連夜開かれる野外上映では、パルムドール受賞作特集の最後を飾る作品として黒沢明監督の「影武者」が登場する。また、「監督週間」ではダウンタウンの松本人志さんの監督デビュー作「大日本人」も初披露される。

【関連記事】
2007/05/17カンヌ映画祭、華やかに開幕
20070517at04p.jpg 【パリ16日時事】60回目を迎えた世界最大の銀幕の祭典、カンヌ国際映画祭が16日、フランス南東部のカンヌで華やかに開幕した。
 日程は27日までの12日間。最高賞「パルムドール」を河瀬直美監督の「殯(もがり)の森」(日仏合作)など計22作品が争うほか、世界中の映画約1万本が上映され、マスコミ関係者ら延べ5000人が取材や審査に当たる。
 ブラッド・ピット、アンジェリーナ・ジョリー、シャロン・ストーン、マット・デイモン、アル・パチーノらハリウッドの大物俳優も続々と姿を見せ、祭りを盛り上げる趣向だ。


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2007年05月14日

アニメーション マジンガーZ の登場メカを紹介します

マジンガーZ の登場メカ

マジンガーZ
鉄(くろがね)の城と謳われる搭乗型巨大ロボットの元祖メカ(しかし、21世紀の基準で言えば、全高18m、重量20tという数値は巨大といかどうかは疑問ではある)。兜十蔵博士の手によってDr.ヘルの野望を阻むべく別荘の地下で秘密裡に造り上げられていたスーパーロボッ。1972年10月10日完成。超合金Zで身を固め、光子力エンジンで駆動する。機体は超合金Zにより鉄壁の防御力を誇る。光子力研究所敷地内のプール状の施設の水を割って発進するシークエンス(第3話から)が有名であるが、実はあの施設はプールではなく汚水処理場とされている(カムフラージュの可能性も高い)。

兜甲児の乗るホバーパイルダー(後にジェットパルダー)が頭部に合体(パイルダー・オン)することでコントロール可能となる。アニメーション上の演出として、Zの有する様々な武器をパイロットの甲児が手探りで模索しながら駆使し、折々にパワーアップ改造を施しつつ徐々に強化されていく手法が取られている。その最たるものが34話より装備されたジェットスクランダーの存在である。当初Zは単独では空を飛べず、空飛ぶ機械獣に翻弄されるケースが多々見られたが、ジェットスクランダーとの合体によりマッハ3の飛行能力を得て弱点を完全に克服したと言える。当時のアニメーションに登場するロボットのほとんどがジェット(ロケット)噴射のみで空を飛ぶのが当たり前だった状況で、翼のドッキングによる飛翔という設定はロボットの新しいスタイルを生み出したと言っても過言ではない。またパイルダーとの合体、スクランダーとの合体は商品のプレイバリューを広げたためスポンサーからも好評だった。



アニメ放送開始直後の数話は「手首から先が白く彩色されている」、「胸の放熱板の形状が丸みを帯びている」、「足の形状が角張っている」、「光子力ビームの色やブレストファイヤーの放射エフェクトが不統一」といった作画スタッフの申し合わせ不足による混乱が窺える。また、甲児も当初は技名を全く叫ばず、無言で繰り出していた(第5話で「ブレストファイヤー」と叫んだのが初めて)。
OVA『真ゲッターロボ対ネオゲッターロボ』の映像特典では、TV最終回をモチーフにしたようで、ミケーネ帝国・百鬼帝国などを中心にした大軍団に集団リンチまがいの攻撃で大破し、グレートマジンガーとゲッターロボGなどに助けられる。このように近年はスーパーロボットの中でも最古参ゆえに、活躍場面が少ない。OVA『マジンカイザー』では、遂に戦闘獣どころか機械獣にさえボロボロにされて捕獲・改造されるという醜態を見せ、今でもゲームなどで活躍している、グレートマジンガーやゲッターロボGに比べて冷遇されている感が拭えなかった。ただ、ゲーム『スーパーロボット大戦シリーズ』での扱いについては近年は(マジンカイザーが登場すると甲児に乗ってもらえず、ボスやさやか、ジュンが乗っているという事態にはなるものの)性能も決して低くなく、グレート・グレンダイザー・ゲッターGと並んで充分に使えるなど復権している。特にマジンカイザーはダイナミックシリーズ最強の合体攻撃「ファイナルダイナミックスペシャル」に参加出来ない事が多いので、そのためにカイザーではなくマジンガーZに甲児を乗せたというファンも多い。

武装は以下のとおり。

通常

光子力ビーム
両目から放つ破壊光線。貫通力に優れる。その威力はTNT火薬10トン分に相当する。とどめに使用した回数ではブレストファイヤーに次ぐ。
ロケットパンチ
両腕の肘から先が分離し、光子力ロケットで飛行、敵を貫く。飛行速度はマッハ2で誘導も可能。19話では空飛ぶ機械獣を引きずり降ろすためにチェーン付きで発射。
アイアンカッター
ロケットパンチの強化版。両脇から斧状の刃が飛び出し、敵を切り裂く。もりもり博士による設計で59話から使用した。
大車輪ロケットパンチ
ロケットパンチの強化版。腕以外の機能を停止させた後、腕自体を回転させ、その回転でロケットパンチの威力を高める技。終盤の72話から頻繁に使用。
ブレストファイヤー
胸の放熱板から放つ3万度の熱線で敵を溶かす。とどめに使用された技としては最多を誇る。第3話では機械獣の光線を弾き返す「発光するバリア」のような効果も披露。
ルストハリケーン
口のスリットから強酸(王水?)の混じった強風を出し、敵を錆び朽ちさせる。初期の決め技として多用された。74話でアフロダイAの残骸を風化させたことから、超合金Zでさえも錆びつかせる威力があるようだ(ただしルストハリケーンが放たれる口のスリット部分は錆びない)。因みに「ルスト」とは錆(さび)を意味する英単語”rust”から来ていると思われるが、正確な発音は「ラスト」である。
ミサイルパンチ
腹部から発射するミサイル。体内で製造しているので材料が尽きるまで連続発射が可能。何故「パンチ」なのかは謎。掛け声は「ミサイル発射!」。
ドリルミサイル
肘を折ってその断面から発射する、先端にドリルのついた小型ミサイル。従ってロケットパンチを失った状態からも発射が可能。一発の破壊力は小さいが、一気に多数を連続発射するためトータルの威力はそれなりに高い。敵の装甲を貫通し内部にもぐりこむ。初使用は60話。劇場版『マジンガーZ対暗黒大将軍』ではスラバやアルソスに対して使用している。
冷凍ビーム
耳の突起から放つ光線。炎さえも凍らせる。
マジンパワー
一瞬にパワーを集中させて驚異的な力を発揮するマジンガーシリーズ共通の機能 。29話で初披露。その後78話や87話などでも使用。なお、甲児は発動時に「マジンパワー!」と叫んでいる。

ジェットスクランダー装備時

スクランダーカッター
ジェットスクランダーの翼で敵を両断する技。掛け声は「スクランダー・カット!」。決め技となったことは一度も無い。
サザンクロスナイフ
ジェットスクランダーの翼から放つ十字手裏剣。59話から使用。

一度だけの武器

強化型ロケットパンチ
右腕のみ完成に漕ぎつけ一発勝負で使用された、攻撃力を高めたロケットパンチ。手首から先が白い。54話で機械獣ジェイサーJ1を倒した。
フィンガーミサイル
指先から放つ。ロケットパンチと矛盾する(指先からの逆噴射で、ロケットパンチが本体に帰る描写がある)為か、10話でダイアンN4を倒した以外では使用されなかった。

その他の装備

光子力ロケット
足の裏に装備。水中戦闘とジャンプの補助用。ゴードン博士・リサ博士親子により18話で追加された装備。
アンチウェーブバリヤー
超音波防御システム。光子力研究所のバリアの簡易小型版といった趣でZの全身を包む。85話のみ使用。
消火液
口のスリットから放出する。ルストハリケーンの印象が強いのと、冷凍ビームで火を消せる設定が付いたのとで自ずと忘れられた。7話のみ使用。

ホバーパイルダー
兜十蔵博士がZ操縦用として開発していた小型のホバークラフト。リフトファンのついた翼を上方に折りたたみ(原作では「ホバー・セット」と呼称)、「パイルダー・オン」の掛け声と共にZの頭部に合体してコクピットとなる。パイルダー・オン時の為に機体下部にはロケットエンジンも搭載されている。武装はパイルダーミサイルとパイルダーレーザー。操縦方法はオートバイに近く設計されている。
第69話で妖機械獣グシオスβIIIの溶解光線によって大きなダメージを被り、修理不可能と判断された。
ジェットパイルダー
弓教授らによりホバーパイルダーの後継機として急遽開発されたもので、71話から登場。光子力ジェットエンジンで飛行する。飛行速度はマッハ3にアップし、垂直尾翼に眺望鏡がセットされた。操縦機としての性能もホバーパイルダーより上である。回転可能なジェットエンジンは通常飛行時と垂直離着陸の際に使用され、パイルダーオン(合体時)・パイルダーオフ(離脱時)の際にはパイルダー本体の底部にある大型ファン(ホバーパイルダーのものより一回り大き目)を使用する。武装はパイルダーミサイルとパイルダービーム。パイルダーミサイルは回転式ジェットエンジンの先端部に1門ずつ装備されており、ホバーパイルダーのものより大型で、マジンガーZのミサイルと同じ威力がある。パイルダービームはZの光子力ビームの小型版。
カブト号(名称は玩具のもので、劇中では使用されていない。設定での呼称は「甲児のオートバイ」)
甲児が愛用するオートバイ(『UFOロボ グレンダイザー』でも登場する)。87話でピグマン子爵に光子力研究所が乗っ取られた際、来日していたワトソン博士(声:加藤修)がカブト号に取り付けたバリヤー突破装置により、光子力バリヤーを使って甲児たちの侵入を防いでいたピグマン子爵指揮下の光子力研究所に突入をし、見事研究所を奪還したエピソードがある。なお、ワトソン博士が来日した本来の目的はマジンガーZの改造であったのに、何故彼が無関係のカブト号にタイミングよくバリヤー突破装置などを取り付けていたのかは今もって謎である。放映当時はヘルメットの着用が義務付けられておらず、甲児は専らノーヘルで運転していた。
原作では、パイルダーの操縦感覚を養う為に兜博士がバイクを次々と買い与えた事になっている。パイルダーの初期デザインの中にはバイクのようなハンドルがついているものもある。
アフロダイA
弓教授がジャパニウム採掘のために建造した非戦闘用ロボット。何故か女性型。弓教授の娘弓さやかが操縦。コクピットは分離せず専用格納庫で後頭部のハッチから乗り込む。採掘用にしては細身で5本指のマニュピレーターを持つ。
永井豪によれば、頭部のデザインは西洋の女性の結い上げた髪形や帽子をモチーフにしているとの事。そのためか原作では頭部が異様に大きく、アニメ化に際して作画監督羽根章悦によってリファインされた。
Dr.ヘルによる侵攻が始まってから急遽武装が施された(第4話よりミサイル装備)ためか胸のミサイルは規格が一定していなかった。さやかは完全な戦闘用への改造を望むが、甲児や弓教授らに却下されている(第8話)。Zのサポートメカとして機械獣の武装や戦法などを身をもって確かめることが多く、腕や脚を失うのは毎度の事であり、胴体を真っ二つにされた事さえある。
光子力で駆動し合金Z(原作版の設定)という超合金Zよりもグレードの低い金属(諸説あり、他にはジャパニウム合金とも言われている)に覆われているが、後に超合金Zに換装された(41話)ようである。
74話でZをかばって妖機械獣パルピアπ7の攻撃を全身に受け、完全破壊された末に残骸はZのルストハリケーンで葬送された。
非力ながらも健闘しており、ミネルバX(38話)・ガンビーナM5(49話)・ユーバリンT9(56話)をいずれも光子力ミサイルで倒している。なお、シナリオではダイアンN4やホルゾンV3もアフロダイが倒す予定だった。
70話で指先からバーナーを出して、ダメージを受けたボロットを修理する描写がある。ゲームスーパーロボット大戦シリーズで「修理」機能が設定されているのは概ねこの場面を踏まえてのことと思われる。

武装

光子力ミサイル(アフロダイミサイルとも)

通称「オッパイミサイル」。両胸から発射する大型ミサイル。当初は左右各1発のみだったが後に60話で連射可能に改良される。掛け声は「ミサイル発射!」。32話ではミサイルではなくロケットブースター(気象観測用ロケット)を発射し、マジンガーZの飛行補助に使用した(発射されたロケットをZが両手に1基づつ掴み、その推力で飛行する。後に真似をしたボロットは見事失敗。この時のアフロダイAは普段よりも巨乳であった)。女性型ロボのアイデンティティの一つ「胸からミサイル」というフォーマットを最初に打ち立てた功績はやはり偉大である。

ダイアナンA
弓教授が建造した戦闘サポート用ロボット。女性型。76話から登場し、アフロダイAに続いてさやかが乗り込む。武装が増え、スカーレットモビルというバイクがコクピットになる。これはZ初期案の流用とされている(頭部デザインがZに近い)が、かなり大型のバイクではあったが開放型のコクピットにはシートベルトも屋根すらもなく、戦闘には思い切り不向きであった(雨天時にはパイロットがずぶ濡れになるであろう)。出撃の際は、光子力研究所の格納庫に収められているダイアナンAに弓さやかが「ダイアナンA・ゴー!!」と叫ぶことでダイアナンAは姿を現す。その後、「オーロラ光線・発射!!」の掛け声でダイアナンAの後頭部よりオーロラ光線(オーロラというより虹状の七色に光る光線)がスカーレットモビルの手前に向け発射される。このオーロラ光線はバリヤーなどと同様に固体に近い力場を形成しているようで、スカーレットモビルはその上を橋を渡るように登り、ダイアナンA頭部まで走行してドッキングする。なお、Zの初期案である「アイアンZ」は、バイクで背中(一応はしご状になってはいる)を駆け上って頭部に合体する設定だった。
光子力で駆動し、超合金Z製のボディー。出番が終盤近くということもあってか、戦闘用の割に戦果はアフロダイを下回り、89話でギラニアβ5にとどめを刺したのが唯一の白星だった。因みにマジンガーZと共に『グレートマジンガー』終盤に出てきた時には超合金ニューZに換装されていたらしい。小説版『スーパーロボット大戦』では専用のスクランダーが開発された。
全体的に、アフロダイよりもマジンガーに近いデザインとなっている。或いは人気の高かった機械獣(というよりゲストメカ)のミネルバXを意識しているのかも知れない。
アフロダイAより戦闘向きとはいえ、バイクだけのコクピットはある意味ボスボロットよりも危険。スパロボではバイクがコクピットになったまま、普通に宇宙に出ていたりする。

武装
スカーレットビーム

スカーレットモビルのカウル中央部分から発射する破壊光線。渦巻状のビームであることが多いが、89話でギラニアβ5にとどめを刺した際には直線的な光線であった。ダイアナンと分離した状態でも使用可能。
光子力ミサイル(ダイアナンミサイルとも)
アフロダイのものと基本的には同じ。三博士によれば威力はアップしているらしいが、終盤の敵には全く通用しなかった。

ボスボロット
本来はボスロボットであり、ボスボロットは愛称である。48話でもりもり・のっそり・せわし博士により建造されたロボット。ボスが専用ロボット欲しさに三博士を恐喝し、拉致監禁して建造させた。材料が自動車等のスクラップだったということもあり驚異的なスピードで完成、稼動した機体である。大型ダンプカーのようにハンドルを回して操縦する。設計はボス自身とされるが、彼に全高12mのロボットを作る技術があったかは不明で「デザイン」のみがボスのものかもしれない。三博士の腕は確かで、スクラップで出来ているにも関わらず出力は12万馬力と強力であり、その攻撃力で妖機械獣サーペンターΙ6(75話)と機械獣ブラッキーF7(80話)を結果的に撃破している(更に映画『マジンガーZ対暗黒大将軍』でも戦闘獣ダンテを不意討ちで倒している)。当初は単なるギャグメーカーにとどまり、敵の罠にかかりZの足を引っ張ることもあったが、次第にZのサポート役としての地位を確立し、勝利に貢献していく。またコメディリリーフとして表情豊かな頭部がポロッと外れるというギャグも再三にわたって披露。Zに張り合おうと「空を飛ぶ」ことへ執拗に挑戦しては失敗を繰り返していた(この芸風は次作『グレートマジンガー』へも受け継がれ、遂に『グレート』43話で悲願達成となる)。
武装は主にその怪力のみ(一応スーパーロボット大戦シリーズには「ボロットパンチ」という武装があるが、単に殴っているだけである)。
どんなエネルギーでも稼動可能という特徴がある。ボスがパイルダーから光子力エネルギーを盗んでしまい、甲児が補給に戻った隙にマジンガーが強奪される、というエピソードもあった(第73話)。
75話ではボスらと共に、(新たな機体が未完成で出撃できない)さやかが同乗している。
主人公ロボットに張り合う三枚目コメディリリーフ的存在のロボットとしては草分けであり、ロボットアニメ史上他に類を見ない圧倒的な知名度と人気を誇る。後続のロボットアニメもボロットの路線を踏襲すべく、こぞって「浅太郎(『ゲッターロボ』)」・「ボインダー(『勇者ライディーン』)」・「ケロット(『超電磁ロボ コン・バトラーV』)」といったギャグメーカーのロボットを登場させたが、いずれもボロットを超える人気と存在感を示すことは出来なかった(スパロボシリーズでこの手のロボットはボスボロット以外は前述のケロットが何回か登場したくらいでほとんど登場しない事からも窺える)。80年代以降は『機動戦士ガンダム』を踏襲するリアルロボット路線が主流を占めるようになり、この種の三枚目ロボは殆ど登場しなくなった。
先述のように次作『グレートマジンガー』へもスピンオフで全話にレギュラー出演し、更に『UFOロボ グレンダイザー』にも2回ゲスト出演したことにより、東映マジンガーシリーズ3作全てに出演し本編中で活躍した唯一の機体となった。
ミサイル重戦車Z(名称は玩具のもの)
元々は玩具「ジャンボマシンダー」の台座オプションとして発売された商品に過ぎなかったが、スポンサーの要望により作品中に登場の運びとなった(62話から)。武装はミサイル。特に70話では新パイルダーの開発中で出撃できないZに代わり甲児の操縦で出動し、妖機械獣ミノスΜ7を地雷原に誘い込んで倒すという殊勲を挙げている。

Dr.ヘル側

海底要塞サルード

あしゅら男爵が指揮する母艦。上半分は人工島に擬装されている。水面下の本体部分は何故か迷彩色に塗装されている。機械獣や潜水艦を多数搭載。人工島を回転させ海面に大渦を巻き起こす事も出来る。39話でマジンガーとの交戦により大破、喪失。
海底要塞ブード
第44話から登場。サルードについであしゅら男爵が新たに与えられた超大型潜水艦といった趣の母艦。艦体上面に起倒式の巨大な顔があり、口の部分が機械獣発進口となる。また発射口から渦を起こしたり、光線を発射することも可能。他にミサイルや魚雷などで武装。第78話にてあしゅらの捨て身の特攻でマジンガーにダメージを与えるが自らも大破、喪失。
飛行要塞グール
ブロッケン伯爵が指揮する大型輸送機兼爆撃機といった趣の母艦。鳥もしくは翼竜をモチーフにしたデザイン。機械獣を多数搭載しており、口の部分のカタパルトから発進させる。煙幕を張り人工雲にカムフラージュして敵の目を欺く事も出来る。主な武装は磁力光線やショックビーム。あしゅら男爵のミスで大破してしまい、それがあしゅらを単身自棄的な攻撃へ向かわせる事となる。第91話でZに撃墜されヘル一味は壊滅した。
ヘルカー
主に鉄仮面が搭乗する、二人乗りの車両。ヘッドライト部分からミサイルや火炎放射で攻撃する。が、アフロダイやボロットから返り討ちにされるくらい弱い。
機械獣
ヘルがバードス島で発見した、古代ミケーネ帝国の遺跡に残されていた超技術を用いて製造したロボット。これらの巨人(ロボット)をヘルが改造し、バードスの杖で制御可能にしたものが機械獣である。その形状や能力は様々だが、ほとんどは多少なりとも人間に近い姿である。基本的に自律行動が可能で、「バードスの杖」から発する光線(電波?)によって起動・制御される(中にはスパルタンK5やジェノバM9のように命令を拒否し独自の行動を取る例もあった)。名称には一部の例外(第6話)を除いてアルファベット1文字の記号と1〜10の番号が付けられている。初期の設定では、記号は用途別(マジンガーZ 攻撃用、ジャパニウム鉱石強奪用など)に分けられる予定だったが、本編中では特に意味を持たせていない。なお、機械獣の名前につくアルファベットには「Z」が使われていない。これは、「Z」には最終(最強)兵器の意味が込められているため、マジンガーZ以外には使われなかったとされている(対照的に、パートナーであるアフロダイ、ダイアナンには「A」が使われている)。
妖機械獣
ゴーゴン大公からヘルに貸与された機械獣。ミケーネのオリジナルの技術が使用され、ヘルの機械獣より(通常は)強力である。あるものはホバーパイルダーやアフロダイAの完全破壊などの殊勲を上げた。一方でマジンガーなしで撃破されてしまったものもある。主に神話などをモチーフにしている事、名前の記号がギリシア文字である事が特徴。番号はローマ数字とアラビア数字が混用されている。
ミネルバX
第38話に登場した、マジンガーZを女性化したようなロボット。元々は兜十蔵博士がマジンガーZのパートナーロボットとして設計したもの。あしゅら男爵が襲撃の際に奪った設計図を元にしてDr.ヘルが建造した。マジンガーと同様の武器(ブレストファイヤー、光子力ビーム、ロケットパンチ、ルストハリケーンを劇中で披露)を装備しているが、素材は超合金Zではない。動力も光子力ではなく原子力である。機械獣として現れたが、マジンガーと接近すると、腹部の「パートナー回路」が作動してヘルの制御を受け付けなくなり、マジンガーに友好的になった。しかし、機械獣アーチェリアンJ5の弓矢でパートナー回路を破壊されて暴走。原子炉へブレストファイヤーを発射する寸前にアフロダイAのミサイルで倒された。初めてZに出会った際や倒されてZに抱き抱えられた時には涙を流している。Zに膝枕して仲睦まじくデートする場面は後年「懐かしのTVアニメ特集」などで恰好のネタにされていた。
ラインX1
第61話に登場したロボット。元々はシュトロハイム・ハインリッヒ博士がヘルに依頼されて製作した機械獣の一体だった。が、その電子頭脳パーツとなるべき少女サイボーグのローレライをまるで愛娘のように思い始めたことからヘルを裏切り逃亡。ローレライと共に親子として暮らしていた。しかし、あしゅらに隠れ家を発見されて博士は死亡。シローと知り合い仲良くなっていたローレライへ死の間際に「実はサイボーグであり自分の娘ではないこと」・「ラインX1と合体することで機械獣を遥かに超える高性能のスーパーロボットとなること」・「ライバル兜十蔵博士のマジンガーZを打倒して史上最高のロボットであると証明して欲しいこと」を告げて息を引き取る。父と慕ったシュトロハイムの遺志を叶えようとシローの制止を振り切って頭のリボンを外したローレライはラインX1との合体を果たし、 Zに挑戦する。しかし、善戦も空しくZに敗北を喫したラインX1は、頭部のムチで胸のローレライの顔を破壊して自決した。
原作の「ローレライの歌」篇をほぼ忠実に映像化した一編だが、原作ではロボット名が「ドナウα1」であり、ビジュアルも若干ラインX1とは異なる。変更された理由としては(あくまで揣摩憶測ではあるが)、少女ローレライの名の由来がハインリッヒ・ハイネの詩とフィリップ・フリードリヒ・ジルヒャーの曲で有名な伝説の妖精ローレライに因むとすれば、ドナウ川ではなく正しくはライン川であること(恐らく原作者の永井が間違えたのだろう)、「α1」というギリシャ文字+数字の組み合わせが妖機械獣のネーミング設定と被ること等が考えられる。また上で触れたように、劇中ではローレライは「サイボーグ」であると表現されているが、博士のセリフからは、彼女が(「サイボーグ」の本来の定義どおり)博士の実在の娘に改造手術を施したものか、原作と同様ロボットないしアンドロイドであったのか今ひとつ判然としない(つまりは劇中での「サイボーグ」という言葉の使い方がやや曖昧である)。おそらく後者と解釈するのが妥当であろう。
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『マジンガーZ』(マジンガーゼット)は、永井豪作の漫画、およびそれを原作とする東映動画のアニメ作品。

マジンガーZ(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

『マジンガーZ』(マジンガーゼット)は、永井豪作の漫画、およびそれを原作とする東映動画のアニメ作品。その作中で主人公が乗り込む巨大ロボットの名称でもあります。

ストーリー
兜十蔵博士は地震で瓦礫の下敷きになって死亡する直前、息子夫妻を実験中の事故で死なせたことへの償いから、孫の甲児に超合金Z製・光子力で動くマジンガーZを与えた。十蔵のビジュアル及び言動はアニメ版より遥かにマッドサイエンティスト風であり、或る意味Dr.ヘルと同等のキャラクターとして描かれている。

ドクター・ヘルの巨大ロボット群を使った日本侵攻が始まったとき 甲児はマジンガーZで、ヘルの野望を打ち砕くために戦い始める。



* 甲児が最初にZを起動させた際に(アニメ版は誤ってシローを踏みつけそうになる程度)原作では(甲児の本意ではないにせよ)市街地で大暴れしている。
* ドクター・ヘルの部下は、ミケーネの貴族夫婦のミイラを一体化したあしゅら男爵、ナチの鬼将軍のサイボーグであるブロッケン伯爵。ジャンプ連載時にはピグマン子爵は登場せず(その後テレビマガジン連載時に登場)。
* ヘル一味の武力が改造巨大ロボット「機械獣」なのは同じだが、アニメ未登場の機械獣が意外と多く存在する(ジャンプ連載版だけでもドグラ・マグラ、バマラスY1、マリオN7、グロゴスG5等など多数おり、テレビマガジン連載版に至っては全て作者オリジナルでアニメ未登場の機械獣ばかりである)。
* アニメ版に登場した原作機械獣でも、ゴーストファイアーP10→グレンゴーストC3、バルガスV5→ベルガスV5といった具合に何故か原作から名前が微妙に変更されたり、キングダンX10やグロッサムX2のように能力・武装が地味に変更されてしまった例も多い。
* 週刊少年ジャンプ連載版にボスボロットは登場しない(アニメ版の放映中に連載が終了したため)。ボス自身は登場し、アニメ版よりも甲児の恋敵・悪友的な要素が強調されている。
* ヒロインの弓さやかは勇敢な少女ではあるが、アニメ版よりはおっとりした性格になっており甲児に対しても素直に好意を示している。愛機アフロダイAは海底要塞サルード自爆と運命を共にして喪失。後継機はビューナスA(『グレートマジンガー』のビューナスともデザインが異なる)。ダイアナンAはジャンプ連載版には登場せず。
* 「ローレライの歌」篇に登場するシュトロハイム博士のロボットの名が原作ではドナウα1であり、アニメ版61話のラインX1と異なる(デザインも若干違う)。また原作ではリバーF9にあしゅらが乗り込み操縦していた。
* 暗黒寺闇太郎警部は「やくざの息子が警察官になった」と自称し、悪役的な言動を見せながら甲児たちに協力してDr.ヘルの組織を追う敏腕警部という役どころであったが、ニセマジンガーZとの戦いを最後に姿を見せなくなり、アニメ版にも登場していない。

キャラクター

兜甲児(かぶと こうじ)
キャラクターとしては前作「ハレンチ学園」に登場した”山岸くん”こと山岸八十八(やまぎしやそはち)の発展形として設定した、と作者がインタビューで後に語っている。またアニメ版では兜邸にルミというお手伝いがいて身の回りの世話をしていたが、原作ではお手伝いさんや家政婦も置かれておらず、料理も含め甲児が賄い仕事全般を器用にこなしている。
弓さやか(ゆみ さやか)
キャラクターとしては前作「ハレンチ学園」に登場した”十兵衛”こと柳生みつ子(やぎゅうみつこ)を強く意識した、と作者がインタビューで後に語っている(十兵衛自身も原作にワンカットのみ登場している)。また原作では甲児と高校のクラスメートである点も大きな違い(アニメ版では高校に通っていない)。なお、ジャンプ連載時にはさやかのロングヘアーに茶髪のようなトーンが貼られていたが、コミックス化に際し(コマ単位で全面的に)黒くベタ塗りされてしまっていた。1999年に講談社漫画文庫から出版された(ジャンプ連載時のまま収録した)完全復刻版(全3巻)によって茶髪のオリジナル弓さやかを見ることは可能。
ボス
固有名が設定されておらず、ブロッケン伯爵相手に「本名は俺も作者も知らない」云々と苦笑いしながら自己紹介している。アニメ版のような半袖Tシャツではなく、もっぱら学ラン姿である。なお、「棒田進(ぼうだすすむ)」とは1998年に連載された永井の漫画『Zマジンガー』中での呼称であり、本作との直接的な関係は無い。
ヌケ
初登場時にムチャから「ボケ」と呼ばれる場面あり。やはり学ラン姿(鼻水は垂らしている)。
ムチャ
アニメ版より長身であり、ボスと同じくもっぱら学ラン姿であった。
兜シロー(かぶと しろー)
永井キャラらしくアニメ版よりも悪童ぶりが目立ち、言葉遣いも荒っぽい。パイルダーを操縦して機械獣ガミア三姉妹の一体(Q1)を撃破する活躍を見せたりもした。
兜十蔵博士
甲児の祖父。やや狂気じみた科学者。数多くの特許を持ち、その収入でマジンガーZを建造。突然の大地震で命を落とすが、死の直前に甲児にマジンガーZを与え「お前は神にも悪魔にもなれる」と言い放つ。孫のシローに「いきなり顔を見せるな」と罵られる程の、傷だらけの化け物のような顔だったが、TVアニメ版では普通の温和な老人の容貌になっている。また、アニメ版と違い光子力研究所からは完全に引退していた。
弓弦之助教授
十蔵の弟子で光子力研究所の所長。ジャンプ連載時には髪型やヒゲがアニメ版とかなり違っていたが、講談社でのコミックス化に際して作者によりアニメに準拠した顔へ(コマ単位で全面的に)描き直されてしまった。性格もアニメ版より若干アクティブかつアグレッシブに描かれていた。1999年に講談社漫画文庫から出版された(ジャンプ連載時のまま収録した)完全復刻版(全3巻)によってボサボサ髪のオリジナル弓教授を見ることは可能。
三博士(のっそり・もりもり・せわし)

三人ともアニメ版と顔や頭身が微妙に異なる(もりもりが短躯でメガネを着用、のっそりがメガネ・口ヒゲなしで極太の眉毛、といった具合に)。しかも出番はほんの僅か。
Dr.ヘル(地獄)
アニメ版に垣間見られた、あしゅらやブロッケンとのボケツッコミ漫才風のコミカルなやりとりは微塵も無く、ひたすらにマッドサイエンティスト。
あしゅら男爵、ブロッケン伯爵
どちらもアニメ版に比べて若く精悍なイメージにデザインされており、死に様も(連載終了時のどさくさ紛れに)グールがZに操縦系を破壊されて制御不能のままブード目掛けて墜落し両者とも死亡、と非常にあっけない最期を遂げている。
鉄十字軍団
アニメ版と決定的に違うのは目の部分。原作では目全体が黒くベタ塗りされ、瞳が白抜きとなっている。その結果どこか髑髏を連想させる秀逸な効果が出ており、キャラクターの不気味さではアニメ版を遥かに凌駕している。
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2007年05月13日

映画「俺は、君のためにこそ−」動員200万人、興行収入25億円を見込む好スタート

070513gt20070513001_MDE00413G070512T.jpg初日大入り!「俺は、君のためにこそ−」動員200万人いける
腕いっぱいのカーネーションに目を潤ませた岸惠子と特攻兵役の(左から)窪塚洋介、徳重聡、筒井道隆=東京・銀座(撮影・小野淳一)
舞台あいさつが行われた丸の内TOEI(1)には幅広い客層の観客が訪れた=東京・銀座
 “特攻の母”故鳥濱トメさんの姿を描いた映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」(新城卓監督)が12日、初日を迎え、動員200万人、興行収入25億円を見込む好スタートを切った。東京・銀座の丸の内TOEI(1)では、主演の徳重聡(28)、トメさん役の岸惠子(74)らが舞台あいさつ。母の日を前に出演者からカーネーションを贈られた岸は「みんな、ありがとう」と感無量で瞳を潤ませた。

 徳重ら特攻隊員役を演じた一人ひとりが岸にカーネーションを渡し、握手し、言葉を交わす。まるで戦死した若い特攻隊員たちが、母の日を前にトメさんに感謝を伝え、ついに映画が初日を迎えたことを報告するかのような光景だった。

 そんな若者たちの姿に岸は「きょうも、とっても晴れたいい青空…。この青空のどこかで(トメさんも)喜んで見てくれているでしょう」と感激の表情。知覧弁で「みんな、みんな、ありがとう。あんたらのおかげじゃって」と続けると、天国のトメさんの言葉を聴いたかのように、今度は徳重たちの目が潤んだ。

 同作は、太平洋戦争末期の鹿児島県知覧町を舞台に、“特攻の母”と慕われたトメさんの視点で特攻隊員の姿を描いた青春群像劇。トメさんと長年親交があり、同作の製作総指揮を務めた石原慎太郎東京都知事(74)をはじめ、出演者たちがこの作品を通して伝えたかったのは、トメさんの存在、そして若い特攻隊員たちの思いだ。

 舞台あいさつでは、会場いっぱいに集まった約500人の観客を前に、徳重が「これがこの時代の事実であって、あの時代の真実。ぜひ多くの人に見てほしい」と熱弁。戦時体験者の岸は「私たちという国がああいう辛酸をなめたことを分かってほしい。たかだか60年前の歴史をひもとかない国に、よい明日はないと思う」と力を込めた。

 製作側の熱い思いが伝わってか、初日の滑り出しは上々で、製作・配給元の東映によると、興収25億円、観客動員数200万人を超える見込みだという。舞台あいさつ後、都内で行われた打ち上げパーティーでは、新城監督が「都知事選で石原さんは280万票以上とった。この作品は、全国で280万人の動員を目標にしたい」と高らかに宣言した。




■俺は、君のためにこそ死ににいく
 太平洋戦争末期、敗戦濃厚だった日本軍に命じられ、国を守るため尊い命を犠牲にした若い特攻隊員たち。そんな彼らが母のように慕っていたのが、鹿児島県知覧町・富屋食堂の鳥濱トメさんだった…。トメさんと親交があった石原都知事が8年前に企画し、トメさんの口から聞いた真実をもとに映画化。脚本・製作総指揮を手掛けた。総製作費は18億円。出演はほかに窪塚洋介(28)、筒井道隆(36)ら。

SANSPO.COM
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2007年05月12日

皇后陛下が映画「眉山」試写会にご出席…菜々子「一生の思い出」

070510gt20070510031_MDE00414G070509T.jpg皇后陛下のご臨席に、緊張と喜びが入り交じった表情の(左から)さだまさし、松嶋菜々子=東京・有楽町
 皇后陛下は9日、東京・有楽町の朝日ホールで開かれた、女優、松嶋菜々子(33)主演の映画「眉山−びざん−」(犬童一心監督、12日公開)の試写会に出席された。

 同作は、さだまさし(55)の同名小説を原作に、宮本信子(62)演じる末期がんの母と松嶋演じる娘の絆(きずな)を描く感動作。

 皇后陛下は、緊張気味ながらはっきりとよく通る声で自己紹介した松嶋に、にこやかに声をかけ、着席された。隣には松嶋が座った。



 上映終了後、松嶋は「皇后陛下から『本当に素晴らしかったです』と何度もおっしゃっていただきました。まさか皇后陛下に観ていただけるとは、作り手としてこれ以上の幸せはなく、一生の思い出になります」と感激しきり。皇后陛下は予定時間を5分延長され、松嶋、宮本、さだ、犬童監督らと歓談された。



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2007年05月10日

5・9はゴクウの日!香取悟空、「西遊記」イベントで大暴れ、6月下旬から7月上旬ごろ石川県輪島市の門前地区でスペシャル試写会実施

5・9はゴクウの日!香取悟空、「西遊記」イベントで大暴れ

 SMAPの香取慎吾(30)が9日、東京・六本木ヒルズで行われた主演映画「西遊記」(澤田鎌作監督、7月14日公開)のプロモーションイベントに出席した。「悟空の日」と銘打ったイベントで、ヒットを祈願してなんと長さ59メートルののり巻きを作成。その後の予告編の上映会にも登場した“香取悟空”は「一番早く見たいのはオレ! すげぇや、コレ!」と気勢をあげた。




 香取悟空が六本木で大暴れした。

 5月9日=ゴクウの日=と銘打ったPRイベント。香取悟空が「今年から毎年5月9日は何の日ですか?」と会場のチビっ子ら約300人に呼びかけると、「ゴクウの日!」と大歓声で応えられ、満足そうな表情を浮かべた。

 「西遊記」は、昨年フジテレビ系で放送したヒットドラマを映画化。ドラマに登場しなかった悟空の最大の強敵、妖怪の金角大王、銀角大王との闘いを描く。昨年10月と今年1月の2回にわたり中国ロケも敢行した。

 この日のイベントではヒットを願い、如意棒をイメージした、59メートルののり巻きを完成させた香取悟空。中国ロケについて「半端じゃなかったですよ。見たことのない虫がいる。本気で逃げないと日本に帰れないなって」「1月に行った時、神に見放されたのかっていうぐらいドシャ降りだった」などと過酷な撮影を振り返った。ただ、大雨のシーンはCGで晴れの場面に変わる予定で「僕のお芝居の雰囲気でそれがどこか当てて」と“見どころ”をPRした。

 イベント後には、TOHOシネマズ六本木で5分9秒の予告編が上映された。香取悟空も初めて鑑賞し、短時間ながらもスケール感たっぷりの迫力映像に「すげぇーや、コレ! 一番早く見たいのはオレ! なんだか涙が出てきますよ。1シーン1カットごとに、あれがこんなになってるって。沙悟浄、猪八戒、おっしょさん(三蔵法師)みんなで頑張ったのがこんなになったよって。よくやった、オレ!」と興奮。さらに客席に向かって「7月14日(の公開)を目指して、その後も悟空は突っ走ります。皆さんには西遊記の宣伝部となってもらって、宣伝してくれるかな?」と呼びかけ、「いいとも!」と力強い返答をもらった。

 澤田監督は「必ず皆さんが面白かったと言ってもらえるモノにしたい」と宣言。今夏、悟空の活躍が日本中を駆けめぐる。 

★登場人物イメージ

 “西遊記巻き”は長さ59メートル、直径59ミリ。孫悟空、沙悟浄、猪八戒、三蔵法師をイメージし、具材にたまご(384個分)、きゅうり(56本)、豚肉(ロース32kg)、お米(140kg)、かんぴょう(800本)を使用した。

★バルーン&トレーラー、全国行脚で出発

 この日は5.09メートルの悟空バルーンや西遊記トレーラーもお披露目された。悟空バレーンとともに、トレーラーは全国キャンペーンに出発。全国20カ所以上でキャンペーンを行い、公開日の7月14日に東京に戻ってくる。

★高杉さと美熱唱

 この日は「西遊記」のイメージソング「旅人」(6月6日発売)を歌う新人歌手、高杉さと美(21)も登場。同曲を披露し、会場を盛り上げた。(SANSPO.COM)

【その他関連記事】

被災地に元気とウッキー!能登で映画「西遊記」試写会実施へ

 SMAPの香取慎吾(30)が主演する7月14日公開の映画「西遊記」(澤田鎌作監督)のスペシャル試写会が、3月の能登半島地震で被災した石川県輪島市の門前地区で実施されることが1日、発表された。

 配給の東宝によると、復興状況などを見ながら詳細を詰めていくが、6月下旬から7月上旬ごろに実施する方向で調整している。主人公、孫悟空役の香取も現地入りを熱望しており、前向きに検討。作品では“なまか”=仲間=のために勇気をふるうといったことも描かれ、“香取悟空”が直に被災地の子供らに元気を届けることになりそうだ。

 香取悟空は「元気のない“なまか”がいるなら、元気のある悟空が会いに行くしかない。『西遊記』を見てもらって心とは、“なまか”とは何なのか、一緒にもう一度確認しましょう。筋斗雲ですぐ行くぜ。待ってろ能登半島。ウッキー!!」とコメントしている。

★川中美幸はオリジナルTシャツ販売で義援金を贈る

 演歌歌手の川中美幸(51)が1日、能登半島地震の被災者に義援金を贈ることになり、大阪・新歌舞伎座で会見した。石川県観光大使を務め、昨年12月に新曲「金沢の雨」を発売。それだけに「他人事とは思えない。少しでも力になれれば」。オリジナルTシャツ(2000円)を製作、販売し、売上金を義援金にする。
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2007年05月09日

世紀末救世主伝説 北斗の拳 ,『Fist of the North Star 北斗の拳』,『新・北斗の拳』などの紹介

映画版、OVA版(東映版)

『世紀末救世主伝説 北斗の拳』
1986年(昭和61年)作品。監督はテレビシリーズの芦田豊雄。原作におけるケンシロウとラオウの最初の対決までを劇場用に再構成し、全編新作で制作された劇場用オリジナル長編。概ね原作の流れを追っているもののトキは登場せず、北斗の兄弟はケン、ラオウ、ジャギのみで南斗聖拳ではシン、レイのみである。その他一部のキャラクターは立場が変更されて登場している。クライマックスのケン対ラオウ戦は、両者が闘気弾を撃ち合い、街全体を爆撃で破壊してしまうなど、激しい描写となっている。

本作最大の特徴は、やはり映画ならではの過激なスプラッタ描写である。テレビ版ではシルエットや透過光によって緩和されていた人体破裂の描写などが露骨に近い形で描かれており、血みどろ感覚が強い。



リンについては、公開時に雑誌で展開していた天帝編に呼応するような設定(実は天帝の双子の妹だった)が暗に示されており、クライマックスではケンシロウはラオウに敗れ、まさにラオウがとどめを刺そうとする瞬間にリンが戦いを制止し、ラオウがリンの忠告を受け入れ、去るという展開で終了するなど、その存在の大きさを伺える演出がなされていた(「拳王は地に膝など着かぬ」と叫んだラオウが、リンの前に跪づくシーンは印象的であった)。

なお、1988年のビデオソフト化に際して、ケンシロウが敗れる結末が改訂されることになり、ケンシロウとラオウは両者互角のまま、互いに今まさに最後の一撃を放たんという瞬間にリンが制止、ラオウがこれを聞き入れて去るという展開で新たに新作カットが制作され、差し替えが行われた。従ってオリジナル劇場公開版は未だソフトメディア化されていない。

続編を予感させる終わり方であったが、この劇場版の続編は製作されなかった。

一方改訂されたバージョンも、88年のビデオソフト、1995年にLDが発売された以降、2006年現在まで地上波TV放送はされておらず、またDVDも未発売であるなど視聴が難しく、半ば幻の作品になりつつある。SKY PerfecTV!では数度放送された。

青木純一郎がエキストラ声優として出演している。

韓国で無許可で製作された韓国版北斗の拳は、この映画のストーリーを基にしている。主題歌もこの映画の主題歌「ハート・オブ・マッドネス」を韓国語に訳したものである。


『Fist of the North Star 北斗の拳』ハリウッドで実現した実写版北斗の拳。ただし東映ビデオと東北新社の共同製作であり、いわゆる「ハリウッド映画」ではない。主演はゲイリー・ダニエルズ。原作初期におけるケンシロウ対シンの物語を描いているが、南斗六聖拳や拳王の設定は一切登場しないため、シンは純粋な悪党に終始している。基本的に北斗神拳の描写は少なく、マッドマックス風の世紀末描写に通常の格闘アクションを加えた印象の作品になった。人体破裂描写は特撮で再現されている。鷲尾いさ子がユリア役、マルコム・マクダウェル (時計じかけのオレンジの主人公)がリュウケン役で出演している他、ジャギ風の敵役でショーン・ペンの弟のクリス・ペンが出演している。なお日本で発売された吹替版ビデオでは、テレビアニメ版と同一のキャストによって吹替が行われているがファンの間からは非常に評判が悪い作品となってしまった。


『新・北斗の拳』
「第壱話 呪縛の街」(2003年7月)
「第弐話 禁じられた拳」(2003年10月)
「第参話 男が哀しみを背負うとき」(2004年5月)

各巻60分。製作は東映ビデオなどによる「新・北斗の拳」製作委員会。アニメーションの制作はこれまでの東映動画から、A.C.G.Tに変更された。脚本には堀江信彦が参加。監督は渡部高志、キャラクターデザインと総作画監督は外崎春雄。スプラッター描写はより激しくなっている。

内容は、小説「北斗の拳-呪縛の街-」をアニメ化したもの。TVアニメではなくOVAとしての発売である。新たなケンシロウの声優として子安武人を起用。またオープニング曲とエンディング曲、そして新キャラクターのセイジの役をGacktが担当している。ラストランドでのケンシロウの戦いを描いており、キャラクターもケンシロウ以外は全て一新されている。お馴染みのキャラクターでは、トキとアニメ未登場のリュウが少しだけ登場している。なお、ストーリーの流れは原作の最終回のその後の世界が舞台となっており、ケンシロウの活躍する話の時系列的に最も新しい物である(『蒼天の拳』は北斗の拳より前・2006からの新作はラオウ編を再構築したリメイク作)。第参話で完結しているが、続編が望まれている。ただOVA版のストーリーの出来はあまり良くなく、「商業目的な作品だ」と非難するファンもいる(「ひでぶ」「強敵(とも)」などの、いわゆる「名セリフ」の連発も、批判の原因とされている)。

東宝版

『真救世主伝説 北斗の拳』North Stars Picturesとトムス・エンタテインメント株式会社が制作し、2006年から2008年までの3年間で全5部作でラオウから見た視点で物語を再構成し、劇場版映画とOVAで東宝が公開する予定となっている。原作・武論尊、作画・原哲夫が新たに構想するストーリーとなっている。

新声優は俳優を起用し、ケンシロウに阿部寛、ラオウに宇梶剛士、新キャラクターのレイナ(キャラクターデザインは北条司)に柴咲コウを起用。阿部の演技には高評価が多く寄せられている。宇梶、柴咲を起用したことについては、ファンによっては意見が賛否に分かれている。他にユリアに石田ゆり子、ジャギにデビット伊東、赤鯱に角田信朗を起用。


第一部『真救世主伝説 北斗の拳 ラオウ伝 殉愛の章』
2006年3月11日 映画劇場公開(全国東宝系)。

原作における「聖帝十字陵編」を映画化した作品で、サブタイトル通り新たに起こされたラオウの背景が織り込まれている。ラオウに思いを寄せるレイナが新登場。クライマックスはサウザーとの決戦がほぼ原作通りに描かれた。初代映画版が、サウザー編の直前であるラオウ対ケンシロウの初戦を描いた時点までを描いていることから、初代映画版の続編というニュアンスも含まれているのではないかと一部ファン間で言われている。

『ラオウ伝 殉愛の章』(映画上映の場合)はTVアニメやOVAとは違い残虐な描写も含まれているためPG-12指定となっており、保護者同伴でないと観ることはできない。

DVD版では新たに500カット以上の映像を追加、さらにラオウ役の宇梶剛士は再アフレコしたとのことで、実際、セリフが違うところもある。


第二部『真救世主伝説 北斗の拳 ユリア伝』
2007年2月23日 OVA発売。

ケンシロウやラオウがユリアに初めて出会った時から第一部までをユリア視点で描いた作品。シンやレイ、五車星(ジュウザ以外)も登場している。ユリアの声優に石田ゆり子を起用しているが、演技力・表現力ともに欠けていたため、TVアニメ版ファンからは批判の声がある。ジャギ役のデビット伊東の演技には高評価が寄せられていた。


第三部『真救世主伝説 北斗の拳 ラオウ伝 激闘の章』
2007年4月28日 全国”追悼”ロードショーとして劇場公開(ただし配給はデスペラード)。 原作のケンシロウとラオウの最終決戦を描く「ラオウ編」をアレンジした作品。赤鯱の声優に角田信朗が起用されている。

公開10日前の4月18日、高野山東京別院(東京高輪)にてラオウ昇魂式が行われた(葬儀委員長:谷村新司、弔辞:宇梶剛士)。


第四部『真救世主伝説 北斗の拳 トキ伝』
2007年秋 OVA発売予定。


第五部『真救世主伝説 北斗の拳 ケンシロウ伝』2008年春 映画劇場公開予定。
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「ゲゲゲの鬼太郎」は幽霊族の少年「鬼太郎」(きたろう)を主人公とする「水木しげる」による漫画作品。

ゲゲゲの鬼太郎(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
ゲゲゲの鬼太郎(ゲゲゲのきたろう)は幽霊族の少年鬼太郎(きたろう)を主人公とする水木しげるによる漫画作品。

誕生の経緯

1933年から1935年頃にかけて民話の『子育て幽霊』を脚色した伊藤正美作の富士会の『ハカバキタロー(墓場奇太郎)』という『黄金バット』をも凌いだ人気の紙芝居が存在した。1954年に紙芝居の貸し元である阪神画劇社と紙芝居作者として契約していた水木のところに阪神画劇社の社長・鈴木勝丸(加太こうじによると自身が『ハカバキタロー』の話を水木にしたという)にそれを題材にした作品を描くように勧められ、作者承諾の上で、水木がオリジナルの紙芝居『蛇人』『空手鬼太郎』『ガロア』『幽霊の手』の4作に仕立てたのが鬼太郎シリーズの原点であるが、奇抜な展開で評判を呼んだ『空手鬼太郎』を除き、鬼太郎シリーズはそれほど人気作品にはならず、それ以降は製作される事がなかった。この水木版紙芝居の鬼太郎作品は現存してないが、伊藤版の一部は加太こうじの『紙芝居昭和史』などの書籍で部分的に見ることが出来る。ちなみに鬼太郎が墓場から生まれた片目の子供という設定(『蛇人』より)と目玉おやじの登場(『空手鬼太郎』より)はこの頃からであった。



その後、紙芝居作家から貸本漫画家に転身していた水木が、1959年に兎月書房発行の怪奇短編マンガ誌『妖奇伝』に発表した「幽霊一家」で現在の鬼太郎の基礎が定まった。だがこの時期の鬼太郎はまだ人間の味方というものではなく、関わった人々に怪奇な結末をもたらす不吉な少年というモチーフであり、この路線は後年に楳図かずおが発表した『猫目小僧』などに継承されている。しかし『妖奇伝』は第2号、第2作「墓場鬼太郎」を掲載するも、一般には全く人気が出ず廃刊となってしまう。だが鬼太郎シリーズは熱心な読者からのファンレターがあったことから、1960年に同じく兎月書房から『墓場鬼太郎』と題した怪奇短編マンガ誌に「地獄の片道切符」(第1巻)「下宿屋」(第2巻)「あう時いつも死人」(第3巻)などシリーズ諸作が発表された。ちなみに「下宿屋」でねずみ男が鬼太郎シリーズに初登場した。それまで水木は兎月書房の専属に近い形だったが、経営難の兎月書房から原稿料が一切支払われていなくなったことに憤慨した水木は長井勝一の三洋社に移籍して『鬼太郎夜話』シリーズ(「吸血鬼と猫娘」「地獄の散歩道」「水神様が町にやってきた」「顔の中の敵」)を描いていった。しかし、5冊目「カメ男の巻」を出す段階で三洋社の社長が入院し、そのドサクサに巻き込まれ原稿が行方不明となり、「カメ男の巻」は幻の作品となってしまった。一方、兎月書房は『墓場鬼太郎』の発行を続け、鬼太郎シリーズの続編を竹内寛行に描かせていたが、やがて水木が兎月書房とは和解して1962年に読みきり作品『怪奇一番勝負』『霧の中のジョニー』(後に少年マガジンで「吸血鬼エリート」としてリメイク)を描く。その後、兎月書房の倒産により水木は、1964年にかけて佐藤プロで読みきり作品『おかしな奴』(後に「陰摩羅鬼」としてリメイク)『ボクは新入生』(後に「朧車」としてリメイク)『アホな男』を、東考社でも『霧の中のジョニー』の続編と予定されていた『ないしょの話』(後に「大海獣」としてリメイク)を発行した。なおこの頃になると初期の不幸を呼ぶ少年から、後の少年誌に登場する親しみやすいキャラクターへと変貌している。
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2007年05月08日

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』(エヴァンゲリオン しんげきじょうばん)は、2007年から2008年にかけて公開予定のアニメ映画シリーズ

ヱヴァンゲリヲン新劇場版(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

ヱヴァンゲリヲン新劇場版
監督 庵野秀明(総監督)、鶴巻和哉、摩砂雪
製作 カラー
脚本 庵野秀明
出演者 緒方恵美
林原めぐみ
石田彰
音楽 鷺巣詩郎
公開 前編: 2007年9月1日
中編以降: 2008年
製作国 日本
言語 日本語

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』(エヴァンゲリオン しんげきじょうばん)は、2007年から2008年にかけて公開予定のアニメ映画シリーズ。 2007年2月17日、『エヴァ』生みの親である庵野秀明が“緊急声明”と称し、製作にあたっての所信を表明(全文は外部リンク先を参照)。同時に作品公開スケジュールも公表された。今作は「新世紀のヱヴァンゲリヲン」として、全く新しい結末が予定されている。また、人造人間エヴァンゲリオンのカラーリングやデザイン、NERV(ネルフ)、ゼーレのマークもリニューアルされる。



2006年秋に公開された情報

アニメ雑誌『ニュータイプ』の2006年10月号で、『エヴァンゲリオン新劇場版 REBUILD OF EVANGELION(仮題)』の制作が発表された。前編・中編・後編・完結編の全4部からなり、前編は2007年9月1日に公開、中編は2008年早春、後編と完結編は同年初夏に公開される予定。劇場用作品から10年ぶりの新作となる。庵野秀明が総監督、摩砂雪と鶴巻和哉が監督を務め、新たに興された庵野の個人アニメスタジオ「カラー」が制作する。脚本は前編を庵野、新作画部分の絵コンテは前編を樋口真嗣と京田知己、中編を佐藤順一がそれぞれ担当する。

今回の新劇場版は、前回のテレビシリーズ及び劇場版を「旧世紀版」と呼称したいという庵野の意向により製作され、前作では明かされなかった新たな真実が描かれる。プロデューサーの大月俊倫によれば、時間軸はアニメ版と同一だが、前編から後編までは旧作のフィルム映像は一切使用せず、現存する原画から新たに撮り直し、それに新画像を大幅に付け加えた作品になる。また新設定や新キャラクターも登場する。完結編は完全新作となり、その終わりは企画段階の構想に近い、大団円となるエンターテイメント志向の作品になるという。

2007年春に公開された情報

2007年2月17日、全国の主要な映画劇場において、庵野総監督による“所信表明”を書き記したポスターの掲示と共に特報映像(文字情報のみ)が上映開始。4月11日にはタイトルを『ヱヴァンゲリヲン 新劇場版:序 EVANGELION:1.0 YOU ARE (NOT) ALONE』とする事が発表された。「エ」を「ヱ」、「オ」を「ヲ」に変えているが、これはTV版エヴァンゲリオン企画当初にボツになった案を採用したものである。尚、発表された庵野総監督による所信表明文のタイトル「我々は再び、何を作ろうとしているのか?」は1995年7月にTVシリーズ『新世紀エヴァンゲリオン』が放送される前に監督自身が発表した所信表明文「我々は何を作ろうとしているのか?」に対するものである。この所信表明文は貞本義行による漫画版第1巻に収録されている。

公開スケジュール

全4部作(予定)
* 前編『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 EVANGELION:1.0 YOU ARE (NOT) ALONE』:2007年9月1日公開予定 90分
* 中編『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』:2008年公開予定 90分
* 後編+完結編『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:急』+『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:?』:公開日未定 45分×2
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2007年05月07日

スタジオジブリは、アニメーションを主体とした映像作品の企画・制作を主な事業内容とする日本の企業(宮崎駿監督作品、「となりのトトロ」などが有名)

株式会社スタジオジブリは、アニメーションを主体とした映像作品の企画・制作を主な事業内容とする日本の企業である。長編アニメーション映画の制作を主力事業としているが、1990年代中期以降、短編作品の制作及び実写作品の企画を手がけている。また、『熱風』という小冊子の発行を行う出版事業、さらに音楽事業も行っている。



スタジオジブリ」の名称は、サハラ砂漠に吹く熱風(ghibli)に由来しており、また、第二次世界大戦中のイタリアの飛行機の名前でもある。宮崎監督の思い込みから「ジブリ」となったが、「ギブリ」の方が原語に近い発音である。スタジオジブリのマークは、スタジオジブリの作品『となりのトトロ』に登場するキャラクター、トトロがデザインされている。スタジオジブリの第2レーベルで実写作品部門の「スタジオカジノ」は、スタジオの所在地東京都小金井市梶野町から命名された。

長編作品としては、次のような作品があります。

* 天空の城ラピュタ(1986年)
* となりのトトロ(1988年)
* 火垂るの墓(1988年、「となりのトトロ」と同時公開)
* 魔女の宅急便(1989年)
* おもひでぽろぽろ(1991年)
* 紅の豚(1992年)
* 海がきこえる(1993年、日本テレビ系列にて放映)
* 平成狸合戦ぽんぽこ(1994年)
* 耳をすませば(1995年)
* もののけ姫(1997年)
* ホーホケキョ となりの山田くん(1999年)
* 千と千尋の神隠し(2001年)
* 猫の恩返し(2002年)
* ハウルの動く城(2004年)
* ゲド戦記(2006年)
* 崖の上のポニョ(2008年、公開予定)

風の谷のナウシカ』(1984年)はトップクラフトが制作したものである。しかし、版権がトップクラフトからスタジオジブリに移行したことによって、DVDなどでは「スタジオジブリ作品」としている。その他、高畑勲監督作品である『じゃりン子チエ』も、「スタジオジブリ作品」としてDVDが販売されている。
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2007年05月06日

『鉄腕アトム』の原作者、手塚治虫氏を紹介します

最初の連続テレビアニメ番組、『鉄腕アトム』の放送が開始された1963年1月1日をもって日本商業アニメの創始とするのが通例。
このとき制作を指揮した原作者の手塚治虫氏です。
手塚 治虫(てづか おさむ、てづか おさむし(初期のみ)。本名:手塚 治、1928年(昭和3年)11月3日 - 1989年(平成元年)2月9日)は、日本の漫画家、アニメーター、医師。大阪府豊中市に生まれ、兵庫県宝塚市で育つ。医学博士の学位を持つ。戒名は伯藝院殿覚国蟲聖大居士。日本アニメの先駆者、漫画の神様としても有名。

人物
大学時代から、漫画家として活動を始める。漫画家という職業が社会的に評価が大変低かったこともあり、医師との二足のわらじをはくことも考えたが、母の「好きなことをやりなさい」ということばで専業漫画家の道を選んだエピソードは有名。ただしこの他に、担当教官に医者よりも漫画家に向いていると言われた、血を見るのは苦手だった、などといった話も伝わっている。1947年に発表した『新宝島』は、漫画に映画的スペクタクルな表現を導入した先鋭的な作品で、藤子不二雄、石森章太郎(後に石ノ森章太郎)ら後進に極めて大きな影響を与え、現代日本における漫画・アニメの基礎が築かれるなかで大きな役割を果たした。



風貌や実績から温厚で人格者というイメージがあるが、石ノ森章太郎や大友克洋ら若い才能に対し、敵愾心を燃やす一面を見せたとも言われている。

いかにも漫画的・人間的なエピソードが紹介されることもある。

松本零士など後進の漫画家などの客人にいたずらでチョコレートうどんを食べさせたことがある。
締切前に担当編集者の目を盗み、映画鑑賞のためなどと称して度々逃亡している。阿蘇山にまで逃げたことがある。
深夜「メロンを買ってこなければ続きを描かない」などと担当編集者に無理難題を言い出した(当時、コンビニエンスストアなどは無かった)。
寝ているところを編集者に叱責されると、「寝ていたのではない。横になって疲れをとっていただけだ」と言い張った。
上記のように、担当の編集者からすれば目に余る行動も多かったらしく、当時の担当編集の中には手塚の人間性を厳しく糾弾する例も見られたようだ。殺人的スケジュールに追われていたため同情すべき余地は多々あるとも言われるが、依頼された仕事はほぼ断らずに受けたのは、スケジュール管理能力の欠如以外の何物でもない。ただし、その事がわかっていながら、新雑誌の創刊毎に「彼が誌面にいないと売れない」という理由でいくつも掛け持ちさせ、後輩漫画家よりも安い原稿料でコキ使い、結果的に心身ともに消耗させた編集者たちの責任も大きい。

手塚治虫の業績
日本における本格的ストーリー漫画の開祖と言われる。しばしば舞台劇的だった漫画を映画的に変革したとも評されるが、日本でも第2次世界大戦前から赤本漫画の世界で、映画的にコマ割りされた漫画は存在していることが指摘されており、何もかも手塚治虫が発案したわけではない。戦時中の1938年に内務省から「児童読物ニ関スル指示要項」が出され、10年近く表現規制がなされていたため、戦後の少年たちにとって手塚治虫の『新宝島』の登場は衝撃的だったのである。そして、この衝撃は藤子不二雄らトキワ荘グループに共有され、彼らが語ったり自伝に書かれたりすることで、1970年代から漫画ファンの間に流布され、神話化していったと言われる[1]。

中央での大手出版社の月刊少年誌に掲載される漫画は当時は4ページから6ページ程度だったのに対して、関西の赤本漫画界を出発点にした手塚は100ページ以上のストーリー漫画を描き下ろしてヒットを飛ばした。2年間で12本の赤本漫画を描き下ろした中央の漫画界に進出。これまでのただ面白おかしいだけのマンガではなく、複雑な内面を持ったキャラクターによる悲劇もありうるドラマチックなストーリーを漫画に導入し、漫画を物語を語る手段として、戦後の現代的な漫画の原点を築き上げた人物である。[2]第一人者として亡くなって20年近くなる現在でも生前の功績から「マンガの神様」の異名で崇められている(詳細は後述)。

1954年には専門誌『漫画研究』にアシスタントの求人広告を出し、プロダクション形式をとって大量のアシスタントを雇って作業を分担させ、ひと月に100ページを超える執筆を可能にした。手塚以前にアシスタントを使った漫画家は皆無ではないが、このような大々的なプロダクション形式をとったのは、寺田ヒロオや藤子・F・不二雄によれば、日本では手塚が最初である。この手法が用いられたことにより、週刊少年サンデーのような週刊漫画雑誌の刊行が可能になった。この週刊連載化は、多くの漫画家にとって過酷な生活を強いる原因ともなっており、下記に挙げる「アニメの功罪」と合わせて、手塚への批判の一つになっている。

アニメ制作プロダクションを立ち上げ、日本初のテレビ放送用の連続アニメーション番組『鉄腕アトム』を制作した。手塚の手法やビジネスモデルは、後の日本製アニメの制作に(良くも悪くも)大きな影響を与えた。

それまで政治風刺などの一コマ物が多かった日本漫画界に新地平を切り開き、「マンガの神様」と呼ばれる(一方、手塚本人はウォルト・ディズニーをそう呼んでいる)。

手塚治虫に対する評価
開高健は、1964年に『マンガの神様手塚治虫』という文を発表しているが、この時代にはその呼称はあまり普及しなかった。手塚をマンガの神様と呼ぶのは、手塚の作品『がちゃぼい一代記』(1970年)の登場人物、マンガの神様にちなむ。この作品中で、手塚は、マンガの神様が自身に乗り移ったという表現をしている。また、現在では数々の名作を残してきたその超人的な実績が、「漫画の神様」と呼ばれる所以でもある。

この作品は雑誌掲載後しばらく日の目をみなかったが、1977年に単行本『紙の砦』に収録された。同年12月、久里洋二、犬塚進らが相次いで手塚を神様扱いする言及を行い、その後、手塚を指す呼称として普及した。

手塚はこの呼称を好まなかったが、自作中の登場人物の名でもあるため、マンガの神様だと呼ばれても積極的に否定はしなかった(かわりに、自分がマンガの神様なのではなく、マンガの神様が自分に乗り移ったのだ、という意味の弁解を何度もしている)。

没後、マンガの神様という呼称が一人歩きし、神格化されるようになったが、実際にはヒューマニズムの塊のような人物ではなく、もっと人間臭い人だった、とも言われる。手塚自身、自らがヒューマニストと呼ばれることを極端に嫌っていた。

インタビューでは「自分は、そのへんのニヒリスト以上の絶望を持って仕事をしている……はっきりいえばヒューマニストの振りをしていれば儲かるからそうしているだけで、経済的な要請がなければやめる」と強い皮肉を込めて断言している。

多作のため作品の出来ばえに少々むらがあるが、密度の濃い作品を40年以上の期間にわたって大量に残している点で余人の追従を許さず、これも「神様」と呼ばれる所以と見る向きもある。現代の漫画家の多くは、原案、ストーリー展開、作画作業など、多くの部分を自己が抱えるスタッフや雑誌編集者と共同で行っている。手塚の場合、作画などはプロダクション形式で行っていたが、アイデアやストーリーはほとんど自分一人で練り上げていたらしい。手塚の作品ほどのストーリー性の濃い漫画を、月産100ページ超も生み出す漫画家は現在ほとんどいないと言われる。実際に多くの漫画家はアイデアを出すことに多くの時間を費やし、ネームを作るのに精神的な重圧を感じるほど苦しむ。しかし、手塚はある中堅漫画家との会話で「ネームを描くのに苦労して…」と言われると「え? なんで?」と返したというエピソードがあるほど発想に満ち溢れた人間だった。しかし、手塚治虫といえども編集者から度々ネームの修正依頼が掛かり、苦心もしていたようだ。

亡くなった後に、麻生太郎から国民栄誉賞の推薦があったが、「漫画家授与の前例がない」などの理由で授与は見送られてしまった。後に漫画家としての国民栄誉賞受賞は1992年にサザエさんで知られる長谷川町子への授与によって前例ができることとなる。

2003年から約2年ほど彼の作品だけを集めた雑誌「手塚治虫マガジン」がKKベストセラーズから刊行されたこともあるが、部数の関係上、無期限の休刊となった。後にこの手塚治虫マガジンプロジェクトは2007年になり、「自分が編集長」となって数ある手塚作品の中から自選した作品を収録できるという非常に珍しい試みを取って「手塚治虫O(オンデマンド)マガジン」として復活することとなる。 余談だが、藤子・F・不二雄作のドラえもんのある話では「一人だけの漫画雑誌なんて聞いた事も無い」と言った発言が載っていたことがある。
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2007年05月05日

東映まんがまつり、 公開日・上映作品(1964年7月21日〜1990年3月10日)の懐かしい作品のタイトル紹介

東映まんがまつり(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

東映まんがまつり(とうえいまんがまつり)は、東映が1969年から子供向け映画を数本まとめて春休み、夏休み、冬休みの時期にあわせて劇場公開したときのタイトル。

1964年7月に「東映まんが大行進」として子供向け映画を数本まとめて上映。その後、「東映こどもまつり」、「東映まんがパレード」、「東映ちびっ子まつり」と名称変更し、1969年3月からは「東映まんがまつり」となった。予告・CMなどで「東映〜 まんがまつり〜」という子供の掛け声でお馴染み。1990年3月に実写作品がなくなったため「東映アニメまつり」となり、同年7月からは「東映アニメフェア」に名称変更した。実写特撮作品は、「東映スーパーヒーローフェア」として1993年〜1995年に劇場公開された。

編成は、メインとなる1〜3本程度の劇場版オリジナル作品に、テレビシリーズの放送済みの1エピソードを数本加えた形式が多い。東映以外の製作会社の作品を入れることもあった。テレビマガジンなどの子供向け雑誌では、記事や割引き特典などでタイアップを行った。同業の東宝ではゴジラ映画をメインに据えた「東宝チャンピオンまつり」を展開した。



公開日・上映作品(1964年7月21日〜1990年3月10日)1964年7月21日公開
東映まんが大行進エイトマン ロボット007、光線銃レーザー
鉄人28号 ミラクル魔術団、海底基地
少年忍者風のフジ丸 謎のアラビヤ人形
狼少年ケン サーカスから来た仲間

1965年3月20日公開

東映まんが大行進

ガリバーの宇宙旅行
狼少年ケン おく病なライオン
少年忍者風のフジ丸 まぼろし魔術団

1965年7月24日公開
東映まんが大行進

スーパージェッター
宇宙少年ソラン
狼少年ケン 誇りたかきゴリラ
少年忍者風のフジ丸 大猿退治
宇宙パトロールホッパ

1965年12月25日公開
東映まんが大行進

おばけのQ太郎 嵐が来るぞの巻、忍術修行の巻
わんわん忠臣蔵
狼少年ケン 地底の女王、わんぱく作戦

1966年7月21日公開サイボーグ009
大忍術映画ワタリ

1967年3月19日公開
東映こどもまつり

少年ジャックと魔法使い
サイボーグ009 怪獣戦争
マグマ大使
たぬきさん大当たり

1967年7月21日公開
オールカラーで!東映まんがまつり

ひょっこりひょうたん島
魔法使いサリー なぞの幽霊館、魔法の風船旅行
キャプテンウルトラ
黄金バット

1968年3月19日公開
東映こどもまつり

アンデルセン物語
アラビアンナイト・シンドバットの冒険
怪獣王子

1968年7月21日公開
東映まんがパレード

太陽の王子 ホルスの大冒険
魔法使いサリー
ゲゲゲの鬼太郎
ウルトラセブン

1968年12月19日公開
東映ちびっ子まつり

ピノキオの宇宙大冒険
ガンマー第3号 宇宙大作戦
河童の三平 妖怪大作戦
人のくらしの百万年 マニ・マニ・マーチ

1969年3月18日公開

東映まんがまつり

長靴をはいた猫
怪物くん 砂魔人をやっつけろの巻、怪物くんとハニワ怪人の巻
ひみつのアッコちゃん サーカス団がやってきた
チャコとケンちゃん
ひとりぼっち

1969年7月20日公開
空飛ぶゆうれい船
飛び出す冒険映画 赤影
もーれつア太郎 デコッ八のもーれつ子分、男の中のもーれつ男、ア太郎もーれつ大誤解
ひみつのアッコちゃん わたしのパパはどこ?

1970年3月17日公開ちびっ子レミと名犬カピ
タイガーマスク
ひみつのアッコちゃん ばんざいペットくん
チュウチュウバンバン

1970年7月19日公開
海底3万マイル
タイガーマスク ふく面リーグ戦
ひみつのアッコちゃん 涙の回転レシーブ
もーれつア太郎 ニャロメの子守唄
柔道一直線

1971年3月20日公開どうぶつ宝島
魔法のマコちゃん
タイガーマスク 黒い魔神
のりものいろいろ
キックの鬼

1971年7月18日公開アリババと40匹の盗賊
ゴーゴー仮面ライダー
宇宙猿人ゴリ対スペクトルマン
アンデルセン物語 おやゆび姫
魔法のマコちゃん

1972年3月18日公開ながぐつ三銃士
仮面ライダー対ショッカー
スペクトルマン
さるとびエッちゃん
ムーミン

1972年7月16日公開
魔犬ライナー0011変身せよ!
仮面ライダー対じごく大使
変身忍者嵐
超人バロム・1
国松さまのお通りだい
魔法使いチャッピー

1973年3月17日公開
パンダの大冒険
飛び出す人造人間キカイダー
仮面ライダーV3
マジンガーZ
バビル2世
ひみつのアッコちゃん

1973年7月18日公開
マジンガーZ対デビルマン
仮面ライダーV3対デストロン怪人
ロボット刑事
キカイダー01
バビル2世 赤ちゃんは超能力者
魔法使いサリー

1974年3月16日公開
きかんしゃやえもん D51の大冒険
飛び出す立体映画イナズマン
マジンガーZ対ドクターヘル
仮面ライダーX
ミラクル少女リミットちゃん
キューティーハニー

1974年7月25日公開
マジンガーZ対暗黒大将軍
五人ライダー対キングダーク
フィンガー5の大冒険
イナズマンF
ゲッターロボ
魔女っ子メグちゃん

1975年3月21日公開

グレートマジンガー対ゲッターロボ
アンデルセン童話 にんぎょ姫
これがUFOだ!空飛ぶ円盤
仮面ライダーアマゾン
魔女っ子メグちゃん 月よりの使者
がんばれ!!ロボコン

1975年7月26日公開
ちびっ子レミと名犬カピより 家なき子
グレートマジンガー対ゲッターロボG 空中大激突
宇宙円盤大戦争
野生のエルザ
仮面ライダーストロンガー
がんばれ!!ロボコン ゆかいな仲間
秘密戦隊ゴレンジャー

1975年12月20日公開
マッチ売りの少女
がんばれ!!ロボコン ムギョギョ!食いねェ
秘密戦隊ゴレンジャー 青い大要塞
アクマイザー3
UFOロボ グレンダイザー

1976年3月20日公開
長靴をはいた猫 80日間世界一周
ロボコンの大冒険
UFOロボ グレンダイザー対グレートマジンガー
秘密戦隊ゴレンジャー 真赤な猛進撃!
一休さん

1976年7月22日公開
アリババと40匹の盗賊
グレンダイザー ゲッターロボG グレートマジンガー 決戦! 大海獣
秘密戦隊ゴレンジャー 爆弾ハリケーン
ザ・カゲスター
宇宙鉄人キョーダイン
一休さん 虎たいじ
母をたずねて三千里

1976年12月19日公開
西遊記
UFOロボ グレンダイザー 赤い夕陽の対決
ピノキオよりピコリーノの冒険
一休さん おねしょお姫さま
秘密戦隊ゴレンジャー 火の山最期の大噴火
忍者キャプター

1977年3月19日公開

世界名作童話 白鳥の王子
ジャイアンツのこども教室
超電磁ロボ コン・バトラーV
大鉄人17
ドカベン
一休さん ちえくらべ

1977年7月17日公開
世界名作童話 せむしの仔馬
惑星ロボ ダンガードA対昆虫ロボット軍団
ジャッカー電撃隊
あらいぐまラスカル
ドカベン 甲子園への道
キャンディ・キャンディ
大鉄人17 空中戦艦

1978年3月18日公開
世界名作童話 おやゆび姫
惑星ロボ ダンガードA 宇宙大海戦
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2007年05月04日

『北斗の拳』(ほくとのけん)は、原作・武論尊、作画・原哲夫による少年漫画です

北斗の拳(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

『北斗の拳』(ほくとのけん)は、原作・武論尊、作画・原哲夫による少年漫画。およびそれを原作・題材としたテレビアニメ(1984年)・ゲームを指す。

北斗七星に象徴される伝説の暗殺拳"北斗神拳"の伝承者、ケンシロウの生き様を描くハードボイルドアクション。舞台は199X年の最終戦争後の地球。核戦争によって文明と人々の秩序が失われ、残された資源(主に水と食料)をめぐって争いが繰り返されるという、暴力が支配する世界である。

主人公の使う北斗神拳により人間の頭や胴体が破裂するショッキングな描写、「ひでぶ」 「あべし」「たわば」「あぷぱ」などといった異様な断末魔の悲鳴、大時代的ともいえる宿命的な物語、「お前はもう死んでいる」「わが生涯に一片の悔いなし」などの数々の名台詞から一大ブームを巻き起こし、日本中でまねをする子供が見られた。「秘孔を突く」という言葉もよく使われた。ただ「お前はもう死んでいる」は本作では数回しか言っておらず、アニメで多用していたため、流行した。



単行本は1984年から1989年にかけてジャンプコミックス全27巻が発売されたほか、愛蔵版、文庫版(それぞれ全15巻)が刊行され、2006年には小学館より完全版全14巻が刊行された。

また、2002年よりフルカラー化したマスターエディションがコアミックスより発売されたが、刊行は4巻までで頓挫している。

少年ジャンプでの連載の経緯
北斗の拳』の原型となる読み切り版『北斗の拳』が発表されたのは、「フレッシュジャンプ」1983年4月号であった。霞拳四郎という主人公が北斗神拳を使用して恋人ユキを殺した悪と闘うというもので、時代設定は現代である。これが、読者アンケート1位と好評を博したため、「週刊少年ジャンプ」での連載が検討されるが、慎重を期して再び「フレッシュジャンプ」1983年6月号に続編の読みきり『北斗の拳II』を掲載。これがまたも人気トップを獲得したため、「週刊少年ジャンプ」での連載が決定した。尚、この作品については、原哲夫のオリジナルで、武論尊は関わっていない。なお、この読みきり版『北斗の拳』は『鉄のドンキホーテ』という原哲夫の単行本巻末に収録されている。

週刊少年ジャンプ」での連載は、1983年から1988年までに及び、時代設定は核戦争後となり、奪われた恋人を探す設定となった。週刊ペースで連載するには作画に専念したいと言う原哲夫の意向から、原作を『ドーベルマン刑事』以来ヒットに恵まれなかった武論尊が担当する分業形式になった。

連載開始間もない頃から大ヒット作品となり、落ち込み傾向にあった「週刊少年ジャンプ」を救う看板作品となった。ラブコメ路線で30万部差までに追撃していた「週刊少年サンデー」を突き放し、1984年末に「週刊少年ジャンプ」が400万部を達成。後の600万部体制の足がかりとなった。常に人気もトップで、武論尊と原哲夫ともに、この作品の印税収入で「北斗御殿」を建てたといわれる。

武論尊と原哲夫は後述するケンシロウラオウとの闘いの決着をもって物語を完結させる意向であったが、当時の週刊少年ジャンプの方針(西村繁男編集長の業務命令)により連載は延長される。それ以降のストーリーは、矛盾が多く辻褄が合わないものと化し、カイオウ、ヒョウ、リュウの設定に至っては、それまでの物語を根本から覆してしまう程であった。

もっとも上記のような状況に陥った原因は、再三続いた編集部の連載延長処置によるもので、武論尊はラオウの死後、新展開の構想のため2ヶ月間は休載出来ると思っていたが、実際には翌週から開始せねばならず、極めて短期間の間に物語と設定作りを同時に行うことになって混乱状態に陥ったためか、連載終了後も「ラオウ編以降はあまり覚えていない」と発言している。

なお、本作の担当編集者の堀江信彦は本作の最終回に原哲夫や武論尊と同等の扱いで名前がクレジットされ、原哲夫らとは以後も良好な関係を続けている。

終了後の展開
作品完結後も高い人気を持ち続け、ジャンプ連載作品にも様々なパロディが登場している。2001年になってから、週刊コミックバンチにおいて原哲夫により兄弟作『蒼天の拳』(武論尊は監修として参加)が連載されたが、これも『北斗の拳』及び作中に登場する必殺拳法「北斗神拳」の人気が絶大かつ衰えないものであったからに他ならない。

2003年北斗の拳をキャラクターにしたパチスロ機『北斗の拳』がパチスロメーカーサミーから発売され大人気となった。このパチスロ機は史上最高の60万台を超える出荷台数を記録している(2006年に後継機『北斗の拳SE』を発売)。2002年・2005年にはパチンコ機も登場しており、こちらはパチスロ機ほどの人気は得られなかったものの、羽デジタイプである北斗の拳STVは、数ある羽デジ機の中でもかなりの人気を博している。2005年6月29日、ガンホー・オンライン・エンターテイメントが北斗の拳の世界を題材としたオンラインRPGの開発を発表。サービス開始は2006年内としていたが、2007年第2四半期βテスト開始予定となった。また、アイテム課金制を予定している。
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アストロボーイ・鉄腕アトム(ASTRO BOY -)は手塚治虫原作の漫画『鉄腕アトム』のアニメ化作品で、歴代から数えて第3作目となる

アストロボーイ・鉄腕アトム(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

フジテレビ系列にて、2003年4月6日から2004年3月28日まで毎週日曜日の09:30 - 10:00(JST)に放送された。ただし、関西テレビを中心とした西日本地域はJR西日本の一社提供・6社共同制作のブロックネット番組『走れ!ガリバーくん』を放送していたため異時ネットだった(うち、関西テレビは30分前倒しの先行放送で、09:00 - 09:30(JST))。全50話。また、ソニーピクチャーズが初めて日本の原作物をアニメ化した作品でもある。

作品のベースは、元来のアトムとは違い、『ロボットの心』、『命』、『革命』、『親子の絆』、『友情』など、ハードかつシリアスなテーマが多かった。また今回は天馬博士とアトムの親子の大河ドラマとも言われている。設定面ではファミリー層向けに大幅に変えた点が多かったが、旧来のアトムファンからの批判も目立った。フジテレビ放送のテレビアニメでは、サザエさんを除けば、最後のセル画作品となっている。
今シリーズのもう一人の主役でもある天馬博士の声を演じた大和田伸也の熱演も話題になった。



声の出演
アトム:津村まこと
ウラン:丸山美紀 
天馬博士:大和田伸也
如月夕子:川瀬晶子
ロビタ:龍田直樹
タマオ:くまいもとこ
ケンイチ:佐藤ゆうこ
シブガキ(四部垣):千葉進歩
リノ:松本梨香
ミドリ先生:小林沙苗
ニャン子:釘宮理恵 
ニャン子の父:肥後誠 
エプシロン:平松晶子
デルタ:高瀬右光
ハーレー:梁田清之 
アトラス:檜山修之
プルートゥ:大塚明夫
青騎士(ブルー・ボン):田中秀幸
シャドウ:大和田伸也
ジオワーム:TARAKO 
アドミニ:西村朋紘
真一:高山みなみ 
ジョー:小形満 
レイコ:根谷美智子 
エディー:柴山平和 
トニー:園部好徳
電光:かないみか
エミール博士:柴山平和 
ミミ:宮村優子 
トネリコ:槐柳二 
デーブ:石原凡 
エディー:柴山平和 
石田:麻生智久 
ジャン:肥後誠 
ケン:松本さち 
ボン:高橋裕吾 
ネオンライツ号:古川登志夫 
フランケン:サンプラザ中野
ペンキ塗りロボット:香取慎吾(DVD版では手塚眞)
写楽:伊藤美紀 
和登:MEGUMI 
猿田博士:堀勝之祐 
ロック:藤井フミヤ 
火の鳥:竹下景子 
ジャズ:中嶋聡彦 
ブルース:遊佐浩二 
スカンク草井:矢尾一樹
カトウ:子安武人
加田里:小山力也 
ハム・エッグ:長島雄一(現・チョー)
アセチレン・ランプ:石井康嗣 
徳川会長:内海賢二 
レッド将軍:石田太郎 
リヨン議長:亀井三郎 
タワシ警部:銀河万丈
ヒゲオヤジ:富田耕生
お茶の水博士:勝田久

制作秘話
当初、主題歌『鉄腕アトム』を使用せず、ZONEの『true blue』となった理由は『鉄腕アトム』の権利関係が原因である。
本作のスタッフには『平成ウルトラシリーズ』の関係者が多い(監督の小中和哉及び、日本サイドの脚本家の多く)。
第2作の音楽を担当した三枝成彰と本作の音楽担当の吉松隆は、共に現代音楽界において調性とロマン主義の復興を呼びかけ実践している作曲家である。年齢が10歳以上離れており特に共同して活動しているというわけではなく、また三枝が劇伴音楽の経験が豊富なのに対し吉松は劇伴での仕事は珍しいなど活動歴に差異はあるものの、現代音楽の中でも特に従来のクラシック音楽に近いファン層を持つ二人の作曲家が同じ原作を持つアニメシリーズを担当したという点で、両者のサウンドトラックの比較は興味深いという声もある。
視聴率は同年のアニメの中では高く、当時視聴率が高かったテレビ東京系列のブロッコリー枠には対抗できたもののタカラから発売された玩具の売上は苦戦し、良い状況とは言えるべきではなかった(皮肉にも、関東などで裏番組であった『デ・ジ・キャラットにょ』の玩具もタカラから発売されていた)。

声優に関する秘話
笑っていいとも』のテレフォンショッキングで大和田伸也がアトムが好きと言ったのがきっかけで天馬博士の声を演じる事になった。
放送当時(2003年)はアトム誕生の年で、また、以前よりも本格的なロボット産業の時代に放送された作品なので、作品中では本物のロボット(ソニーのQRIO)が声の出演を務めるエピソードもあった。
上記の通り香取慎吾がペンキ塗りロボットの声でゲスト出演しているが、肖像権の関係かDVD版では手塚眞が声の吹き替えを行っている(所属するジャニーズ事務所が圧力をかけたとも言われている)。

スポンサーに関する秘話
三菱自動車工業との提携によって、グランディスのアトムバージョンのCMが製作された。作品中にもこの自動車をベースとした車(エアカー)が登場した。
筆頭スポンサーだった明治製菓は終了後『めざましテレビ』(6時台ローカル枠 6:30〜6:50・基幹8局ネット)に移行した。
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2007年05月02日

日本の主なアニメーション映画の歴史について

アニメーション映画(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

アニメーション映画(アニメーションえいが)は劇場及び映画館等で公開されるアニメーションによる映像作品。略してアニメ映画とも言う。劇場での公開も考慮されて製作されたものは劇場用アニメーション映画または劇場版アニメとも言います。

日本の主なアニメ映画の歴史
日本の劇場用アニメ映画の歴史は古く、研究者によると、大正期の1916年から始まる下川凹天、北山清太郎、幸内純一の3人の漫画家、画家が手がけたペーパーアニメーションと切紙アニメーションが日本の最初期に制作されたアニメーションとされている。これは1910年代に輸入されて好評を博した海外の短編アニメーションを受けて、日本の映画会社が依頼して制作された10分ほどの短編作品で、いずれも現存しない。セルアニメーションの導入が遅れた日本では切り紙アニメーションが発達し、この分野では大藤信郎賞にその名を残す大藤信郎が国際的な評価を得た。セルアニメーションでは1943年には政岡憲三の『くもとちゅうりっぷ』などがある。

第二次世界大戦を迎えると、それまで個人工房により乏しい予算で小規模に行なわれて来た日本のアニメーション制作に対して、軍部より予算が投下され、戦時色の強い国威発揚的な内容ながら、瀬尾光世の『桃太郎の海鷲』(1942年)、『桃太郎 海の神兵』(1944年)といった作品が制作。後者は日本初の長編アニメーションと位置付けられている。日本において、娯楽色の強いアニメーション映画が普及したのは、東映動画が登場する1960年代になってからである。東映動画の誕生を持って、日本は年に1本から2本のペースで長編アニメが制作されるというアニメではアメリカに次ぐ存在となった。



1960年代
白蛇伝』(1958年)を筆頭に、『安寿と厨子王丸』(1961年)、『わんわん忠臣蔵』(1963年)、『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968年)、『空飛ぶゆうれい船』(1969年)、『長靴をはいた猫』(1969年)、『海底3万マイル』(1970年)、『どうぶつ宝島』(1971年)など、東映動画と虫プロダクションが長編アニメを世に送り出した。

これらのシリーズは「東映まんがまつり」などのようなお正月などの定番映画として低年齢層向け映画として普及することとなる。これらの映画の多くは映画館だけではなく、小学校の上映会などにも貸し出されて、多くの子供たちが観賞する機会を得ることになる。またこういった長編アニメ映画の小学校などでの無料公開は、後の星空映画会などへと引き継がれていくこととなる。

一方で、これまで長編アニメではフルアニメーションを基本として来た東映動画が、1966年の「東映まんがまつり」の『サイボーグ009』からは、3コマ撮りによるテレビアニメとの中間的位置付けの作りの「B作」と呼ぶ路線が開始となる。従来のフルアニメは「A作」として区別されるようになり、1963年の『鉄腕アトム』開始によるテレビアニメ時代の幕開けの影響を如実に受けるようになった。

尚、1969年公開の『千夜一夜物語』から始まった虫プロによる「アニメラマ三部作」を忘れてはならない。「アニメラマ三部作」は「東映まんがまつり」と逆の位置にあり、大人向けに作られていた。1970年代には『クレオパトラ』、『哀しみのベラドンナ』が公開されている。


1970年代この時代になって、ついに東映動画は劇場アニメでもフルアニメーションの制作を中止。「東映まんがまつり」は『マジンガーZ』などテレビで人気を得たアニメの劇場用新作という路線に転換した。一方で、虫プロダクションが倒産して、劇場向け長編アニメといえば東映動画の独壇場だった日本アニメ界において、変化が起きるのは1970年代後半である。

1970年代後半になると、主にテレビアニメをオリジナルアニメ化した作品が登場する様になる。1974年にはテレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』が放送される。テレビでの本放送時にはあまり人気が無かったが、再放送によりヒットすると、1977年にテレビ放送を編集した劇場版が公開され、初日から徹夜する客が出る等の大ヒットを記録する。翌1978年には『さらば宇宙戦艦ヤマト-愛の戦士たち-』が公開され空前の大ヒットを記録し、この2作品によって子供をターゲットとしていたアニメ映画というものが、年齢層を超えて楽しめるものであると認識される様になり、この後、劇場用アニメ映画が数多く作られることとなる。

宇宙戦艦ヤマト』シリーズは2作目以降、オリジナル作品が制作されることとなるが、これらの続編ではテレビを意識してか、シネマスコープサイズではない比率の映画が作成されている。

1979年には『ルパン三世 カリオストロの城』、『銀河鉄道999』が公開されるなど、1970年代後半には数多くの作品が公開された。

『科学忍者隊ガッチャマン』『未来少年コナン』『アルプスの少女ハイジ』などアニメブームに乗って、テレビアニメを再編集した長編アニメが劇場で公開されたのもこの時期の特徴である。これはアニメブームを当て込んだものである一方で、東映動画以外の制作会社はそれまでもっぱらテレビアニメの制作を専門として劇場向け長編アニメを制作するノウハウが無く、急な需要に応えるだけの余力に欠けていたことが原因である。観客の側にとっても、ビデオデッキとレンタルビデオ店の普及が1980年代の半ばだったこともあり、再放送以外では人気テレビアニメを再鑑賞できる唯一の機会という側面があった。

また、『宇宙戦艦ヤマト』の舛田利雄を始めとして、1980年代初めまでのアニメブームは実写畑の映画監督をアニメに起用した例が多い。恩地日出夫『地球へ…』(1980年)、浦山桐郎『龍の子太郎』(1979年)。これは一説には、当時アニメ映画に馴染みの無かった地方の映画館主を納得させるためだったと言われる。


1980年代1980年代に入ると、『風の谷のナウシカ』(1984年)が大ヒットし、この後スタジオジブリを立ち上げた高畑勲や、宮崎駿らが2年に1本程度の間隔で『天空の城ラピュタ』(1986年)、『となりのトトロ』(1988年)などのオリジナル劇場用アニメ映画を公開し、好評を博した。

また、1980年から毎年春休みにドラえもんの映画作品が公開されている(2005年を除く)。

機動戦士ガンダム(ファーストガンダム)』の劇場版三部作が1981年から1982年にかけて公開されたのが話題を呼んだ。

当初、機動戦士ガンダムは1979年にテレビシリーズとして放映されたが、不人気となり打ち切られた。が、再放送などで人気をさらに集め、劇場版の公開、さらにはガンダムのテレビシリーズの続編である『機動戦士Zガンダム(1985年)』の放映にまで至った。

サンリオは1979年の『星のオルフェウス』に引き続き、『シリウスの伝説』(1981年)などで、大予算をかけて、1970年代に入って途絶えていたフルアニメーションによるアニメ映画を制作、海外市場に打って出ようとした。

1980年代はまたビデオが普及した時代でもある。1980年代半ばのビデオデッキとレンタルビデオ店の普及はアニメ映画の製作にも変化をもたらした。オリジナルビデオアニメ(OVA)の興隆は、OVAを劇場アニメとして単館系で公開したり、逆にマニア向けの企画を一旦劇場アニメとして公開して、後のビデオ販売でも製作費の回収を計るというビジネスモデルが成立したのである。その受け皿として、短命に終わったものの、この時期に東京ではアニメを専門に上映する映画館が誕生。これまで劇場アニメとして通用しなかった企画がビデオ販売を前提として通るようになる。また、OVAの存在は、これまでテレビアニメで下請け的立場に甘んじていた中小のアニメ制作会社がOVAの制作に乗り出すことで、徐々に制作能力を高めることを可能とした。Production I.Gもそんなスタジオの一つで、1980年代に出発してOVAの制作とテレビの下請けをこなしながら、1990年代以降は劇場映画の制作で飛躍したのである。


1990年代1990年代には劇場用アニメ映画は大きく飛躍し、数多くの作品が作られている。1993年に映画『クレヨンしんちゃん』シリーズの第1作『クレヨンしんちゃん アクション仮面VSハイグレ魔王』が、1997年に映画『名探偵コナン』シリーズの第1作『名探偵コナン 時計じかけの摩天楼』が、1998年に『劇場版ポケットモンスター』シリーズの第1作『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』が公開された。3作とも現在まで毎年制作され続けている人気シリーズとなった。

また、ほぼ毎年のようにアニメ映画が日本映画の興行成績のトップに輝いている。1989年の『魔女の宅急便』を始めとして、1991年は『おもひでぽろぽろ』、1992年は『紅の豚』、1994年は『平成狸合戦ぽんぽこ』、1995年は『耳をすませば』、1997年は『もののけ姫』、1999年は『劇場版ポケットモンスター 幻のポケモン ルギア爆誕』、2000年は『劇場版ポケットモンスター 結晶塔の帝王 ENTEI』、2001年は『千と千尋の神隠し』と、その年の日本映画の興行成績のトップを記録している。


2000年代

1998年以降は劇場用アニメ映画が日本映画の興行成績の上位をほぼ独占している。この中には『ポケットモンスター』等数多くのヒット作品が誕生し、全米を含めて海外でも大きく公開されるようになる。1999年にアメリカで公開された『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』(米題は"Pokemon: The First Movie")は日本映画としては初めて「全米ナンバー1ヒット」となり全米年間映画興行成績トップ20にランキング入りをはたした。

また宮崎駿監督の『もののけ姫』(1997年)、『千と千尋の神隠し』(2001年)は2作続けて日本映画の興行成績の記録を更新し、またアカデミー賞でオスカーを受賞したり、ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞するなど世界的にも認められ、アニメーション映画は現在の日本映画を代表する存在となっている。

日本のアニメーション映画はヨーロッパやアジア各国では次々にヒットを飛ばしているが、アメリカでは現在のところ、日本の劇場用アニメ映画が興行的に成功した例は少ない。空前のヒット作といわれた『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』でも興行収入8574万ドルであり、アメリカにおいて大ヒットの基準とされる興行収入1億ドルには及ばない。『千と千尋の神隠し』は興行収入1000万ドルである。またアメリカでの日本アニメ映画は公開される数がまだまだ圧倒的に少ない上、1作あたりの公開される劇場数も(『ポケットモンスター』『遊☆戯☆王』などの例外を除き)多くの場合は少ない。

2002年には『Pia♥キャロットへようこそ!! -さやかの恋物語-』が公開された。これは史上初のアダルトゲームを原作とする劇場用アニメである。

2004年には、押井守(『イノセンス』)、大友克洋(『スチームボーイ』)、宮崎駿(『ハウルの動く城』)と巨匠たちの作品が続いた。

テレビアニメで人気を博した作品が映画化されるのは現在も主流だが、『ラーゼフォン 多元変奏曲』(2003年)、『劇場版灼眼のシャナ』(2007年)のようにメディアミックスの一環として映画化される作品も現れている。
posted by abelu at 21:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 最新 日本映画(邦画) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

SMAPの香取慎吾(30)が主演する7月14日公開の映画「西遊記」(澤田鎌作監督)のスペシャル試写会が、3月の能登半島地震で被災した石川県輪島市の門前地区で実施

被災地に元気とウッキー!能登で映画「西遊記」試写会実施へ

 SMAPの香取慎吾(30)が主演する7月14日公開の映画「西遊記」(澤田鎌作監督)のスペシャル試写会が、3月の能登半島地震で被災した石川県輪島市の門前地区で実施されることが1日、発表された。

 配給の東宝によると、復興状況などを見ながら詳細を詰めていくが、6月下旬から7月上旬ごろに実施する方向で調整している。主人公、孫悟空役の香取も現地入りを熱望しており、前向きに検討。作品では“なまか”=仲間=のために勇気をふるうといったことも描かれ、“香取悟空”が直に被災地の子供らに元気を届けることになりそうだ。



 香取悟空は「元気のない“なまか”がいるなら、元気のある悟空が会いに行くしかない。『西遊記』を見てもらって心とは、“なまか”とは何なのか、一緒にもう一度確認しましょう。筋斗雲ですぐ行くぜ。待ってろ能登半島。ウッキー!!」とコメントしている。

★川中美幸はオリジナルTシャツ販売で義援金を贈る

 演歌歌手の川中美幸(51)が1日、能登半島地震の被災者に義援金を贈ることになり、大阪・新歌舞伎座で会見した。石川県観光大使を務め、昨年12月に新曲「金沢の雨」を発売。それだけに「他人事とは思えない。少しでも力になれれば」。オリジナルTシャツ(2000円)を製作、販売し、売上金を義援金にする。
(SANSPO.COM)
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